エロ有※3P注意※
オリキャラ注意*佐伯克哉について超独自見解*捏造激しい*克哉の克哉ソースがけ~克哉を添えて~
私は精神医学について全くの無学です。なので、文中「はあ!?」と思われることがあっても、こいつバカなんだねって軽く受け流していただけるとありがたいです。
「佐伯さーん」
終業時間はとっくに過ぎたものの、まだまばらに人の行き交う会社のエントランスホールから出ようとすると、後ろから呼び止められた。
「あ、お疲れ様です」
小走りでかけてくるその人に、笑顔で挨拶する。
広報部に所属している彼女とは、社内報の『今注目のこの人!』なんていうコーナーでオレを取り上げてもらった時、栃木出身の同い年で海産物好きでザルだという共通点が判明してから、たまに仕事終わりに飲みに行ったりして親しくさせてもらっている。
いつもにこにこしていて明るく朗らかな彼女は、部署内外男女問わず人気があって、人の輪の中心になっているような人だ。
「佐伯さんも今終わり?」
「うん。ちょっとデータ整理に夢中になっちゃって」
会社から駅までの数分を、雑談をしながら一緒に歩く。
「あ、そうだ、佐伯さんにもあげる」
ふと何かを思い出したようで、鞄とは別に持っていた紙袋から小さな箱を取り出す。
ワインレッドのその箱には、金色でドイツ語らしき文字が綴られ、円錐台の形をした淡いピンク色のチョコレートがふた粒描かれていた。
「旦那の出張土産。ベリー系でね、あんまり甘くなくて美味しいの」
何度か一緒に食事をして、彼女が美味しいというものには絶対にはずれがないことは分かってる。
たまにはチョコもいいかもと、お礼を言って受け取ったあたりでちょうど駅に着いて、彼女は一番ホームへ、オレは八番ホームへ向かうため手を振って別れた。
少し遅くなってしまったから、夕飯は冷蔵庫の残り物で簡単に済ませた。
後片付けをしてしまうと、コーヒーをふたり分淹れて、さっきもらったチョコをさっそく味わう。
「俺は食べないぞ」
だろうと思ったから別に気にしない。
箱を開けると、チョコの甘い香りと果実の甘酸っぱい香りがふわりと漂う。中には六粒入っていて、つるりとした表面が照明の光を反射してきれいでなんだかかわいい。
小さな粒をひとつ口に運んで噛み砕くと、香りで想像していたよりも濃厚な果実の味が一瞬で口の中を満たす。
「わー、思ってたより甘酸っぱい」
今思ったことをそのまま言葉にすると、酸っぱさが強まった気がしてくる。
でも彼女の言う通り、チョコの甘さが控えめで、そのほろ苦さと果実の酸味が絶妙なバランスで絡み合って、溶けていくほどになんとも言えない幸福感に包まれる。
「おーいしー。さっすがー、やっぱ大当たりだー」
彼女の味覚の正確さを改めて実感しつつ、ふた粒目もじっくり味わって、あまりの美味しさにさらにもうひとつ口に運ぼうとすると。
「わっ、ちょ、なんだよもー」
オレの手首を掴んで強引に引き寄せた<俺>が、指先に摘んでいたチョコをぱくんと食べてしまった。
「結局食べるし。なっ、美味しいだろ?」
「酸っぱい。甘い。別にうまくもない」
「もー。天邪鬼」
もごもごしながら渋い顔をした<俺>は、口の中の甘酸っぱさを洗い流すようにコーヒーを啜って、それきりチョコには目もくれなかった。
(──暑い)
眠りに就いてから、どれくらい経ったんだろう。妙な暑さで目が覚めた。
寝る時はいつも、<俺>に後ろから抱きしめられて眠る。冬はともかく今はもうそんなにくっついてられる時季じゃないと言っても無視されて、しっかりぴったりくっつかれるせいで目が覚めると汗だくになってたりする。
にしても、今夜はなんだかやたらと暑いような。
「暑いよ、<俺>」
呟いてはみたものの、背後の<俺>は眠ったままで、オレを抱き込んでいるその腕を緩める気配もない。
快適な眠りを取り戻すために、少しでも体を離そうと前に身じろいだ瞬間。ぽふん、と、額が何かに埋もれた。
ふたりで寝ても窮屈じゃないように、このマンションに引っ越す時に思い切って買ったクイーンサイズのベッドの上には、これもまた窮屈じゃないようにと、ベッドの幅の三分の二ほどの長さのロングサイズの枕が乗っているだけで、寝返りを打って障害になるものはない。
じゃあオレは何に埋もれているんだと疑問に思って、閉じたままだったまぶたを恐る恐る上げた。でも目の前は真っ暗で何も見えない。
真っ暗だと眠れないなんて子供みたいな<俺>の主張で、眠る時も照明は完全には消さずに常夜灯を点けておいている。昨夜も例外じゃなく、オレ達は確かに仄かなオレンジ色に包まれて眠りに就いたから、真っ暗で何も見えないことはないはずだ。
(あ、停電とか?何かあったのかな)
状況がわからなくて、そのままの体勢で考えを巡らせていたら、
「ふっ──」
と、頭の上で誰かが小さく笑った気配がした。
(………………ふ?)
なんで?頭上から?声がする?
ますますぐるぐる渦巻く思考をとりあえず落ち着けようと、謎の何かに埋もれている額を引き剥がすと、視界が開けて、寝ぼけ眼に暖色の光がじわりと染みる。なんとか焦点を合わせて、声がした頭上に顔を向けた。
「おはよう、<オレ>」
目の前には毎日顔を合わせる男がいて、オレと目が合うと、穏やかに低く囁いた。
(あれ、<俺>、珍しくこっち側にいるのか──ん?でも、今確かに後ろから抱きしめられてる感触があるし……?)
そう思って、振り返ることも難しいほど密着されている体を無理矢理伸ばして、首をなんとか捩じって視線を後ろに巡らすと、オレの肩口にぴったりくっついて無防備にすやすや眠る、<俺>の長い睫毛が伏せられたまぶたと滑らかな頬が見えた。
(やっぱり<俺>は後ろにいるよな。じゃあ、前にいるこの男は??)
捩じった首を戻してまた前を向いて顔を見上げる。
立て肘を付いた左手に頭を凭れさせて、オレを優しげに見つめるその男の顔は、常夜灯のぼんやりした明かりの中であろうともどう見ても間違いなくオレの顔立ちで、そして<俺>の顔立ちで、つまりは『佐伯克哉』の顔立ちだ。
(えーと、<俺>は後ろにいるし、オレは当然ここにいるし、佐伯克哉はふたりでひとりで、オレは<俺>だし<俺>はオレだし、オレ俺オレ……)
「うわあああああああ!!!!」
思考が限界突破して、オレは大声で叫びながら、後ろからきつく拘束している腕をもぎ取らんばかりに振り払って勢いよく身を起こした。
「!!なんだ、どうし……!?」
オレの大声と飛び起きた気配で、<俺>も一瞬で目を覚ました。オレが起きたことでふたりの間を隔てるものがなくなって、まさに眼前でもうひとつの同じ顔と対峙した<俺>もさすがに状況が飲み込めないようで、目を大きく見開いてオレの顔と目の前の同じ顔とを交互に何度も見返す。
「<俺>もおはよう」
動揺するオレ達を尻目に、突然現れた三人目の男がのんびり目覚めの挨拶をする。
声をかけられた<俺>は、僅かに体を跳ねさせた後すばやく身を起こして、泣き出しそうにあわあわと自分を見つめるオレを引き寄せて後ろから抱きしめた。
<俺>に抱きすくめられて少しだけ安心したけど、それでもオレの中で暴れる不安と恐怖はなかなか鎮まらない。
「なん!?何が!?なんで!?」
「騒がしいなぁ」
<俺>の腕にしがみつきながら混乱を溢れさせているオレに、男は呆れたような声を出して、オレ達と同じく身を起こしサイドチェストの上に置いた照明のリモコンを操作して明かりを点ける。
明るくなった光の下ではっきりと存在が確認できる、オレと<俺>と、同じ髪の色と同じ瞳と同じ鼻と同じ口と同じ体を持ったこの男は、やっぱりどう見たって佐伯克哉だ。
もう言葉も継げなくてただ口をぱくぱくさせるだけのオレを、やれやれというような目で見た後、男が冷静に言い放った。
「一応初対面になるんだからきちんと挨拶しないとな。初めまして、<俺>と<オレ>。おれは、ふたつに別れなかった場合の佐伯克哉だ」
「…………は???」
ものすごく間抜けな疑問符満載な声が出た。そんなきちんとご挨拶されても、言葉の意味が全く理解できない。どこか別の国の別の言語を聞いているみたいだ。
「だから。佐伯克哉がふたつに別れるきっかけになったことが起こらず、もしくは起こったとしても屈せず乗り越えて、金髪で黒いコートを着た胡散臭い男に会うこともなく順風満帆に人生を送った場合の佐伯克哉。それがおれだ」
さっき言ったであろうことを、今度はもう少し丁寧に説明してくれているみたいだけど、やっぱり理解できない。
『佐伯克哉』がオレと<俺>に別れるきっかけになったあのこと。あの、信頼していた親友の裏切り。
あのことがなければ、佐伯克哉はふたつに別れることなんかなかった。平凡で卑屈で臆病なオレと、優秀だけど威圧的で支配的な<俺>、誰のことも信じないふたりの佐伯克哉が生まれることはなかったんだ。
確かにそれが一番正しいことかもしれないけど、こうしてもうひとりの自分、<俺>と一緒に暮らして今までの鬱屈した人生が嘘みたいなほど満たされた日々を送る今となっては、あのことがあってふたつに別れたのも、それはそれでよかったんじゃないかなんて都合のいいことを考えたりするけど。
オレはよく<俺>に、ひとつになりたいって言うけど、それは決してひとりになりたいって意味じゃない。絡み合って溶け合って、本当にひとつになったひとりの佐伯克哉になりたい気持ちもどこかにはあるけど、オレ達はふたつのまま、ふたりのままがいいんだ。体を重ねてひとつになれる、ふたりがいい。ずっと、このままでいたいんだ。
今のこの状況にはそぐわない切ない気持ちになって、胸が苦しくなる。思わず<俺>の手をまさぐって指を絡めると、<俺>がぎゅっと握り返してくれてほっとした。
思考が別次元に飛んだおかげか頭の中が大分落ち着いて、さっきの説明がやっと意に介してきた。
ひとりの人間が全く別のふたりに別れるなんて信じられないことが起こらなかった、本来のひとりの佐伯克哉。
それが、今目の前にいるこの──<おれ>。
「な、なぁ」
「ん?」
恐々話しかけてみると、<おれ>が存外優しい声で返事をして、緊張を溶かしてくれる。
「お前が……いや、あなたが?ん?君が?」
「お前でいい」
「あ、うん。お前が、オレ達がふたつにならなかった佐伯克哉なら、こっちの……<俺>と同じってことか?」
オレは、あの時深く傷付いて苦しくて動くこともできなかった<俺>が、もうこんな思いはしなくて済むように、誰のことも傷付けないようにと作り出したもうひとりの佐伯克哉だ。
自分がもうひとりの自分によって生み出された存在であることを知ったのは、オレ達が分裂するようになって、オレにとってはぼんやりと霞がかかったようだった昔の記憶が鮮明に戻ってきてから。
自分がある意味偽りの存在であることに、普通だったらショックを受けたりするのかもしれないけど、それを知った時オレは、なんだかちょっと嬉しかった。そのせいで惨めで冴えない人生を送ることになるのに、それよりも、<俺>がオレをこの世に生んでくれて、オレは自分でも気付かないまま身の内の半身を守ってきていたことが、嬉しかった。
自分でもバカにもほどがあると思う。でも、それが無意識であっても、オレが<俺>のために何かしてやれてたってことが、心底よかったって思うんだ。
それに、生まれたのはあとでも、オレだって佐伯克哉としてこの世に生を受けて、十年以上佐伯克哉として生きてきたんだから、偽りの存在というのも違う気がする。そう思いたいだけかもしれないけど。
だから、オレを生んだのが<俺>であるなら、ふたりが別れる前の佐伯克哉は<俺>以外の何者でもないんじゃないか。なにより<おれ>の雰囲気も口調も声も、<俺>のそれとほとんど変わらなく感じる。
「ああ、まあ……そうだな。まず、お前達の認識と事実では、多少の相違があるんだ」
<おれ>は、ちょっとめんどくさそうに、それでもちゃんと説明してくれる。
「お前達はふたりとも、元々の佐伯克哉はこっちの、眼鏡によって覚醒したほうだと思ってるな?」
「うん。それで、こいつがオレを作ったって……」
「そこが少しだけ違う」
「え」
今まで思い込んできたことが否定されて、困惑が口を衝くと、背後の<俺>も同じ反応をした気配がする。<俺>だってそうだと思っていた。自分がもうひとりの自分を作ったんだと。
「確かに、ふたつになる前の佐伯克哉は眼鏡の<俺>ではあるが、正確には眼鏡の<俺>でもあるし、お前でもある」
「オレでもある?」
こくんと<おれ>が頷く。
「お前の性質や性格は、全くの無から新たに作られたわけじゃなく、佐伯克哉が生まれた時から元々持っていたものだ。お前という独立した自我が生まれるまで、ただ表に出ていなかっただけだ」
「えーと、オレの卑屈になっちゃう性格とか、消極的な性格とかも、佐伯克哉は元からそういうとこがあったってこと?」
「そうだ。ただ、生まれてからずっと、自分にそんな部分があるとは気付かずに生きてきた。元々の佐伯克哉は、特に努力をしなくても勉強もスポーツもなんでもできたし、卑屈だとか消極的だとか思うこと自体がなかったからな」
「まあ、確かに」
「眼鏡の<俺>が持っている嗜虐心や支配欲だってそうだ。まだ子供だから自覚できなかったせいもあるかもしれないが、身の内にそんな黒いものを抱えているなんて、想像もしたことがなかった」
言われてみれば、記憶の中の幼少期の佐伯克哉は、今の<俺>の性格とは少し違う気がする。自分が優秀なことに自覚もあったし自信もあったけど、性格的には幾分穏やかで、意地悪だったり人を見下したりすることもなかった。
「おれは、自覚無自覚関係なく、そういう佐伯克哉が生まれたままの全てを持ってる。お前達はおれから、それぞれ佐伯克哉のベースと、眼鏡の<俺>には佐伯克哉の攻撃的な部分とそれまでの自我が分けられて、お前には内向的な部分と新しい自我が分けられて作られたんだ」
「じゃあ、元々の佐伯克哉は、オレと<俺>が混ざった状態だったってこと?」
「そうだ。若干眼鏡の<俺>の性質のほうが強く出ていたがな」
「でも、オレと<俺>は全然別人みたいなのに。正反対の性格を、ひとりの人間が持ってたなんて」
「それは、別に佐伯克哉に限ったことじゃなく、人間誰しもみんなそうだ。明るい部分もあれば、暗い部分もある。神経質だったり大雑把だったり、真逆の性質を持って、それをバランスよくあるいは偏って無意識に使い分けてる。ただ、佐伯克哉はその真逆の性質がきれいに別れたってだけだ」
「うーん、分かるような分かんないような……」
「あのことがあって、おれは、佐伯克哉は、優秀な自分が図らずしも人を傷付けていたことに傷付いて、違う自分になりたいと願った。それまで無自覚だった、地味で卑屈で臆病な性質を引っ張り出して固めて、その固まりに今までの自分とは別の自我を持たせた。その自分こそが、一番人を傷付けず、他人と関わり合うことを極力避けられる最善の存在だと判断して」
「それが、オレ」
「違う自分になりたいと思ったものの、それまでの自我も消したくはなかった。消せなかった。だから、その自我に傷付いた過去を背負わせ、新しい自分の中で傷を癒し静かに眠ることにした。心の奥深くで眠るうちに、その闇の底に溜まった獰悪な感情を取り込みながら」
「それが<俺>」
「ふたりの佐伯克哉を生み出したのは『佐伯克哉』であって、お前達のどちらかがそうしたわけじゃない。それはおれだったとも言えるが、おれはお前で眼鏡の<俺>だから、お前を生んだのは眼鏡の<俺>だし、お前自身でもあるってことだ」
頭の中がものすごい勢いでフル回転してる。元々の佐伯克哉は<俺>じゃなくて、<おれ>で、でも<おれ>はオレで<俺>だから、結局は<俺>で、でもオレで……。もう、わけ分かんないよ。
「オ、オレ、オレが、あの時はまだ自我を持ってなかったオレが、今はあの時の記憶があるのはなんで?」
「簡単なことだ。お前達が、あの眼鏡によってもうひとりの自分を知って、お互いに認め合って、このままふたりでひとつの佐伯克哉でいたいと思ったからだ。過去を眼鏡の<俺>だけが背負う必要がなくなって、ひとつの体になった時、眼鏡の<俺>の記憶がお前の記憶に溶け込んだ。同じ佐伯克哉なのに、記憶が違うのはおかしいからな」
「んん、そもそも、ひとりの人間がふたつになること自体がおかしいんだから、記憶が違うくらいどうってことない気もするけど……」
「ふ、まあな。だが、そのふたつになるきっかけの記憶だからな。大事なことだろう」
「あ、そっか……」
「ついでに、外で眼鏡の<俺>でいる時のお前の記憶がいまいち曖昧なのは、お前がまだふたりでひとつの体であることを知って日が浅いから慣れていないせいだ。じきにお前ももっと慣れれば、眼鏡の<俺>と同じように、意識だけでいる時も実体験として感じられるようになる」
「慣れの問題だったの?」
「ああ」
「ふえ……」
オレは結局偽りの存在でしかないから曖昧なんだろうとか思ってたのに、そんな単純すぎることだったなんて。拍子抜けだ。
「おれも、あくまでも佐伯克哉があのまま何事もなく成長していたらこうなっていただろうというサンプルにしかすぎない。あのことがなくても、些細な何かのきっかけでお前のような性格の人間に成長したかもしれないし、眼鏡の<俺>のようになったかもしれない。もしくは全く別の性格かもしれない。ほんの少し道を違えただけで、持ちえる性質の組み合わせによって人は容易に別人のように変わったりするからな」
「はあ」
情けない、分かってるんだか分かってないんだか変な相槌をしてしまった。考えすぎて疲れて、うなだれて溜め息と一緒に呻くと、<おれ>がくつくつと笑った。
「あ」
ごちゃごちゃの頭の中で、唐突にあるひとつのことが閃いた。
「ん?」
「もしかしてオレ達、これから三人暮らしになるのか?」
「なんで」
「だって、お前がここにいるってことは、そういうことだろ?え、え、だったらもっと広いとこ引っ越さないと。いやでもそうなったら家賃大変……」
このマンションの家賃だって結構頑張ってるのにとうろたえるオレに、<おれ>が大きく溜め息をつく。
「まず考えるのが家賃のことか?安心しろ。おれ自身は、お前達が、佐伯克哉がふたつに別れた瞬間に消えたんだ。おれはお前になって眼鏡の<俺>になったから、元の、ひとつだった佐伯克哉はもう存在しない。存在しないものが、肉体を持てるわけがない」
ああ、そうなのか。だったら家賃は大丈夫。じゃなくて。なんかすごく悲しいことを<おれ>が言った。そうだよな。佐伯克哉はもうふたつに別れてしまったから、この<おれ>は、元のひとつの佐伯克哉は、もう存在しないんだよな。
──あれ?ってことは?
「じゃあ、なんでお前はここにいるんだ?」
当然浮かぶ純粋な疑問を投げかけると、<おれ>がにやりと笑う。
意地悪そうで嫌みったらしいその表情は、いつもオレを翻弄する<俺>と全く一緒で、ふいに心臓が跳ねた。
どうしてそんなふうに笑われたのか分からずどぎまぎしていると、オレを後ろから抱きしめたままオレと<おれ>の会話をずっと黙って聞いていた<俺>が、何かに気付いて一瞬息を飲んだあと、呆れたように深く溜め息をついた。
「お前、俺達が昨夜食べたチョコ、何味だったか覚えてるか」
「え、チョコ?あれはベリー系の……あ」
<俺>の言葉の意味はすぐに分かった。そうだ、どうしてオレも<俺>も気付かなかったんだろう。噛み砕いた瞬間広がった、想像よりも酸っぱいと感じたあの味、あの香り。あれはベリー系の果実の酸っぱさじゃない。あれは、紛れもなく柘榴の味だ。
よくよく見知った同じ会社の人からもらったものだから、全くもって油断してた。
「あの人はほんと、何がしたいんだよ……」
「よっぽど暇なんだろ」
オレも<俺>も、金髪で黒衣の男を思い浮かべながらほとほとうんざりした声で呟くと、<おれ>が笑みを深くする。
「ま、お前達がほいほいと食べてくれたおかげでおれも出てこれたからな。感謝するぞ」
今度は優しくにっこりと笑った<おれ>が、身を乗り出してオレに顔を近づける。
全く同じ顔のはずなのに、オレとも<俺>ともどこか微妙に違う気がする、精悍で凛々しいけど柔らかな雰囲気の面立ちに思わず見惚れたその隙をついて、ちゅっと軽く音を立てて唇を奪われてしまった。
「!」
「!!!!」
オレも驚いたけど、背後の<俺>はなぜかもっと驚いて、オレを抱きしめたままベッドから落ちそうなまでに後ずさった。
「そんなに警戒するなよ。そんなにこいつに手を出されるのが嫌か?」
わざとらしく拗ねたような口ぶりで<俺>に問いかける。<俺>はそれには答えずに、オレを更に強く抱きしめた。
「お前の独占欲も大概だな」
楽しそうに<おれ>にからかわれた<俺>が、悔しげに小さく呻いた。
すごい。<俺>がなんだか気圧されている。言葉でだけじゃなく、<おれ>が纏っている雰囲気が、こと皮肉や嫌味に関しては無駄に饒舌な<俺>の口を塞ぐ。
誰の前でも<俺>はいつも自信満々で、人を小馬鹿にして見下している偉そうな態度はオレをハラハラさせたり怒らせたりするけど、どんな時でも絶対に揺るがない強い精神力は、実は密かに憧れているところでもある。
その<俺>を簡単に動揺させている<おれ>に、場違いながら感心してしまった。
「でもなぁ、<俺>。他人に手出しされたくないって気持ちは分かるが、おれだってお前だぞ?だったら、おれがこいつに手を出したって、何の問題もないんじゃないか?」
……ちょっと、言ってる意味が分かんないんだけど。とりあえず、感心したのは撤回しておく。
屁理屈のこねかたが<俺>と同じだ。意味の分らないことをまるでそれが道理のように並べ立てて、オレを混乱させて思考を奪って翻弄する。
<俺>はいつだってそう。まずは言葉で惑わせて、次に熱い目で見つめて、頬を撫でて口付けて、そんなことをされたら、オレはもう抵抗なんてできない。
後ずさったせいで遠ざかってしまったオレに、<おれ>がまた近づいてくる。
すぐ目の前までくると、両手でそっと頬を包まれた。<おれ>は優しく笑って、オレを見つめる。
その瞳は、<俺>のそれと同じ。オレが好きで堪らないって、何もかも全部が欲しいって、それだけを真摯に注ぐ愛しい瞳。
オレは<俺>が好きだ。好きで好きで、おかしくなりそうなほど。<俺>以外の人間なんて、眼中にない。
それなのに、今見つめ合ってる<おれ>に、ものすごく心を揺さぶられてる。
それは、やっぱりこの<おれ>は<俺>だから?オレは、自分自身のことしか愛せない人間なんだろうか。ナルシストにもほどがある。
<おれ>の瞳に見つめられて、蕩かされて催眠術でもかけられたみたいにぼんやりしてきたオレの頬を優しく何度も撫でて、<おれ>が顔を傾けて唇を寄せる。それをそうするのが当たり前みたいに、素直に目を瞑って迎えた。
ちゅっと小さく音を立てて啄ばんで、離れてまたすぐ啄ばむ。繰り返し与えられるキスは、すごく優しくて甘くて気持ちいい。
さっきは<おれ>からオレを引き剥がすように後ずさった<俺>は、今度は黙ってオレ達のキスを背後から見つめてる。
どうしよう。なんだか、これからものすごいことが起こる予感がして身震いする。
胸の奥がざわざわして、腹部に回されている<俺>の腕をぎゅっと掴むと、<俺>がオレの後頭部にすり寄って、小さく溜め息をついた。
「んうっ」
<おれ>の舌が唇の隙間から入ってきたのと同時に、<俺>の舌が耳の中に入ってきた。いやらしい音を立てて責め立てながら、パジャマのボタンをあっという間に全部外して脱がされた。
「ん、ふ」
オレの舌を優しく絡める<おれ>の舌が、熱くて柔らかくて溶けてしまいそうだ。<俺>のやり方とは少し違う温かくて穏やかな<おれ>のキスは、<俺>とするキスと同じくらいものすごく気持ちよくて、オレはもう夢中でそれを貪る。
胸元をまさぐっている<俺>の手は、いつもよりどこか乱暴で、両方の乳首を爪で強く引っ掻いたりつねったりしている。
「やっ、こんな、んんっ」
<おれ>のキスが解かれると、すぐに振り向かされて<俺>に唇を塞がれた。キスもやっぱりいつもより乱暴で、噛み付くような激しいキスに息もできない。
「そんなに嫉妬するな。<オレ>が苦しそうだ」
また<おれ>が<俺>をからかう。むっとした<俺>はオレの喉まで舌を突っ込んで、親指と人差し指で乳首を挟んでぎゅうっと潰した。
「んんんっ!」
苦しくて苦しくて痛くて痛くて、それなのに下半身が甘く痺れて、いつの間にか下着の中で窮屈そうにしているオレのがびくんと震えた。
「かわいそうに、痛いだろ?」
「やうっ、んんっ」
充血して真っ赤な潰された先端を、<おれ>が手当てするように舐めて全身に電流が走る。
ぐりぐりと捏ねる<俺>の動きに合わせて<おれ>の舌先が動いて、頭がおかしくなりそうだ。
「やだ、やだ、こんなのっ」
やっと<俺>が唇を離したけど、すぐまた耳に舌が入れられて、片方の乳首を<俺>の指が嬲って、もう片方に<おれ>が吸い付いている。
気持ちいい。気持ちがよすぎて、怖い。
「もっと気持ちよくしてやる」
オレの思考を読んだように<俺>に耳元で吐息で囁かれて、喘ぎ声を通り越して呻き声が出る。
<俺>が背後から抜けて、ベッドに押し倒される。変わらず胸元に吸い付く<おれ>がオレの手に指を絡めてぎゅっと握って、にっと笑った<俺>も逆の手に指を絡めて胸元に顔を伏せた。
「ああっ!や、嘘っ!」
<おれ>と<俺>が、それぞれ左右の乳首を同時にきつく吸って、オレの頭の中で何かが弾けた。
<おれ>が吸い付けば<俺>が歯を立てて、<俺>が吸えば<おれ>が食む。競い合うように責めながら、ふたり一緒にオレを見上げる。
「あっ、あっ、やだ、嘘、こん、な、嘘っ」
同じ顔が、同じ瞳が、オレを熱っぽく見つめる。真っ赤な突起がふたりの口元で嬲られていて、あまりにも卑猥な光景に目の奥が焼け爛れる。
信じられない、こんなこと。あり得ない。
「俺以外がこいつを抱くのは許せないが、これはこれでまあ……悪くはないな」
「だろ?」
間近で顔を合わせてるふたりが、オレの乳首を含んだままどこか呑気に会話する。なに仲良くなってるんだよ。
妙な連帯感が芽生えたらしいふたりが、今さっき初めて会ったばかりなのにさすがは同一人物というべきか、息もぴったりにオレのパジャマのズボンと下着を一緒に素早く脱がしてしまった。
「やだ、やだ、やめて、怖いよぉ……」
「大丈夫。俺がいるだろう?」
「気持ちよくなるだけだから」
大きく脚を広げられて、体中あちこちさすられる。倍になった手が余すところなく絡まって、唇の柔らかい感触を額に感じて腿に感じる。
「うっ、あ、あ、いやぁ」
今まで感じたことのないうねるような快感がやっぱり怖くて、子供みたいにしゃくり上げて泣くと、<俺>がそっと頭を撫でて、触れるだけのキスをいっぱいくれる。
<おれ>はオレの胸元に、腹部に唇を落として、ふたりの宥める優しいキスに、散り散りになっていた意識が少し戻ってくる。
「落ち着いたか?」
「ん」
「怖くない?」
「こわい」
「そうか」
オレの答えにふっと噴き出した<俺>は、ものすごく楽しそうな顔をしてオレの両頬をうにうにと摘んだ。
ついさっきまで<おれ>に嫉妬心むき出しで仏頂面してたくせに、さっさと自分だけ楽しんでずるい。
「お前もすぐ楽しくなるさ」
今度は<おれ>がオレの思考を読んだように言って、オレのみぞおちあたりをきつく吸って跡を付けた。
オレを撫で回しながら、ふたりが同じパジャマを脱いでいく。自分の裸には当然何も感じるものはないのに、同じ体の<俺>と<おれ>の裸体が晒されて、どきどきして顔が熱くなる。
「じっくり楽しませてやりたいが、おれはあまり時間がないからな。慌ただしくて悪いな」
時間がない。その言葉に、胸が痛んだ。
そうか、<おれ>は、あの柘榴が入ったチョコを食べたから現れたんであって、この出会いが終わって目が覚めたら、どこにもいなくなってしまうんだ。かつての<俺>のように。
どこにもいないと言っても、<俺>は姿がないだけでもうひとりの佐伯克哉としてオレの中に確かに存在してたから、肉体さえ与えられればまた会えて、今ではいつでもふたりでいられるようになった。
でもこの<おれ>は、今はもういない、オレ達がふたつに別れたことで消えてしまった佐伯克哉だから、この夜を過ぎれば、二度と会うことはないんだろう。
また柘榴を食べたって、きっと<おれ>にはもう会えない。なぜか確信を持ってそう思った。
<おれ>もオレなのに。<俺>と同じ佐伯克哉なのに。もう見つめ合えないんだ。触れられないんだ。
「そんな顔するな、<オレ>。おれはお前であり、眼鏡の<俺>なんだ。お前達ふたりがふたりでいる限り、おれもちゃんと存在してることになるんだから」
「じゃあ、また会える?」
<おれ>はそれには答えなくて、ものすごく優しい顔をして微笑んで、ちゅっと音を立ててオレの額にキスをした。
「本当にお前は淫乱だな。俺だけじゃ足りないのか」
今度は<俺>が額に口付けた。<俺>は、いつもの意地悪な、でも優しい目をして笑ってる。
目の前の<おれ>と<俺>を、交互に見つめる。顔付きは少し違うけど、同じ顔立ちの、同じ体の、オレと同じふたりの佐伯克哉。誰よりも愛しい自分自身。
ふたりの頬にそれぞれ手を伸ばすと、欲情に塗れた同じ瞳が近づいて、オレの左右の頬に同時に唇を付けた。
「あいしてる」
聞き慣れた、<俺>の低くて甘い声と、ほとんど同じ声だけど、<俺>より少し柔らかくて穏やかな低音の<おれ>の声。間近で見つめて同じ言葉を囁いたふたつの音に、鼓動が止まりそうなくらい胸が締め付けられる。
「オレも……愛してる」
いつでも側にいて惜しみなく愛情を注ぐ<俺>と、もう会えないであろう<おれ>。この夜限りのふたりの佐伯克哉を、オレは全身で余すことなく感じたい。縋るようにふたりに抱きつくと、さっきまでの快楽への恐怖が跡形もなく消し飛んで、ただその思いだけが溢れていく。
ふたりもオレを抱きしめてくれて、でかい男三人が全裸でぎゅうぎゅうに抱き合って、なんだかおかしくて泣けてくる。
流れた涙を<俺>が舐め取って、<おれ>が首筋に吸い付く。そのまま<おれ>は下に伝って乳首を吸って、その刺激に開いた口を<俺>の唇に塞がれた。
「んっ、ん、ん」
<俺>の舌はこんなに甘い味がしただろうか。今ではこうして抱き合うことも、舌を絡ませることも当たり前になった<俺>だけど、少し前までは、一夜限りの、今度はいつ会えるのか分からない出会いを繰り返していた。
その出会いを心待ちにして、離れたくなくなって、ずっとずっと一緒にいたいと願ったのはいつからだったんだろう。
ふたつに別れたオレとお前。別れなければ出会えなかった、愛しい半身。過去がどんなに辛くても苦しくても、今がこんなに幸せなら、別れてよかったとすら思っていたのに。
「んあっ」
脚の間に顔を伏せた<おれ>が、熱を持って震えるオレの先端をべろりと舐めて、そのまま口に含んで舌で捏ねる。温かくてぬめった感触に、体の奥がじんじんと脈を打つ。
「あっ、あ、そこっ、いいっ」
吸い込むいやらしい音を立てて、<おれ>がいいところを的確に責める。オレの声を<おれ>に聞かせるように唇を離した<俺>は、膨れた乳首の片方に噛り付いて、もう片方を指先で押し潰して捏ね回す。
「あ、きもちい、きもちいいっ」
ふたりの手が、舌が、オレを溶かす。オレも触れたくて、<俺>の頬を撫でて、腿を開く<おれ>の手を握ると、ふたりとも満足げに唇の端を上げた感触が敏感になりすぎている粘膜に伝わる。
<おれ>がオレの腰を引き寄せて浮かせる。言葉も視線も交わしてないのにすぐさま<おれ>の意図を汲み取って体を起こした<俺>が、座った腿にオレの頭を乗せて、先走りと<おれ>の唾液に濡れて光るオレのをひと撫でした。
「あっ!ん、やぁっ」
爛れたように疼く入り口に、<おれ>の舌が触れる。ぴちゃぴちゃと大げさに音を立てながら舐め回して、指先で解すように押し込む。
「や、や、そん、なとこ」
舌先が少し入ってきて、縁をなぞって回す。はしたなく大きく脚を開いて、秘めた場所を舐められて、恥ずかしくてたまらないのに、柔らかい舌の感触と注ぎ込まれる唾液と吐息が、そんなこともどうでもよくしてしまう。
「ん、もっと、もっとして、もっと気持ちよくして」
「淫乱」
「んっ」
詰る<俺>の言葉と同時に、<おれ>の指が入ってきた。注いだ唾液を浸透させるように進めて、根元まで入れるともう一本入ってきて、二本の指で音を立てて掻き回す。
「あんっ、あ、いいっ、すご、いい」
<おれ>と体を合わせるのは初めてなのに、オレの気持ちのいいところを知り尽くしたように掻き交ぜられて、体が仰け反る。
「っ、と」
「あ……」
顎を上げた拍子に、<俺>の怒張したものが鼻先をかすめて、一瞬感じたその硬さに鳥肌が立った。
「あ、あ、これ……していい?」
吸い寄せられるように手を伸ばすと、<俺>がふっと笑う。
「食べる?」
「ん、食べる」
いいよ、と頬を撫でられて、嬉しくて思わず笑みが零れる。
「してるのおれに見せて」
指を動かしながら、這い上がってオレの耳元に囁いた<おれ>の低い声が、オレの頭の中もいやらしく掻き交ぜる。
「んっ、うん……」
<俺>の正面にうつ伏せになるようにふたりがオレの体を動かしてくれて、両手で包みこんで<俺>のに舌を伸ばす。
「ん、ん、ふ」
いつもよりすごく熱くて硬いそれが、一見澄ました顔をしている<俺>がどれだけ興奮しているのかを伝える。
舌を絡めてたっぷり濡らして、銜えて出し入れする様を、<おれ>に目の前で観察されて恥ずかしくて煽られる。
「<俺>のおいしい?」
「んう、ん、んんっ」
恥ずかしい言葉に素直に頷くと、<おれ>がにっこり笑って<俺>の形に膨れた頬にキスした。
オレの動きを真似するように体内の<おれ>の指が動いて、舌に当たる<俺>の張り詰めた感触も、中の<おれ>の器用な指も気持ちよくて、腰をシーツに擦り付けるみたいに自然に動かしてしまう。
「かわいい、<オレ>」
「んー」
見られているのも恥ずかしいけど、かわいいと言われたことがやたらに気恥ずかしくて、全身の血が逆流したみたいに熱くなる。そんな、今まで一度も<俺>に言われたことがないことをさらっと言ってしまうのが、<おれ>と<俺>が同じようでやっぱり違うところなんだろう。
楽しそうに笑ってオレを見つめる<おれ>に、別の欲望が湧き上がる。
「ん、ね、<おれ>……」
「なに?」
「あの、お、<おれ>のも、した、い……」
きょとんとした<おれ>が、すぐにまた笑って、オレの髪をぐしゃぐしゃと掻き乱して頭を撫でる。
「欲張りだな」
「……うん」
指をそっと引き抜いて、唇に軽くキスした<おれ>が、ついでのようにすぐ側にある<俺>のをぺろんとひと舐めした。
「!!!!!!」
ああ、<俺>が何度もこんなに動揺するなんて。傲岸不遜な男が顔を赤くして慌てて、なんだかちょっとかわいくすら見えてくる。
「お前もかわいいな、<俺>」
<俺>の鼻を摘まんだ指先をはたかれる前に素早く引っ込めて、<おれ>が飄々と笑う。すごい。完全に<俺>を掌で転がしてる。惚れ惚れするよ、<おれ>。
「さて。おれも気持ちよくして?」
甘えるように言った<おれ>に、吸い寄せられる。<俺>はまだ鼻息を荒くしていたけど、胡坐をかいた<おれ>の正面に顔を伏せて腰を高く上げたオレの背後に回って、丸見えになった中心を視姦して肉を揉みしだくことで気持ちを落ち着けることにしたらしい。
「んっ、ん」
根元を手で支えて、大きくなった<おれ>のに舌を這わす。やっぱり<おれ>のそれも<俺>のと同じ形で、同じ熱さで同じ硬さをしている。だからきっと<おれ>のいいところも<俺>とオレと同じはずで、いつも<俺>にするみたいに、<俺>がしてくれるみたいに、唾液を塗して必死で奉仕する。
「気持ちいいよ」
「ん」
口の中で、<おれ>のがさらに大きくなっていく。銜えたまま目線を上げると、ほんの少しだけ上気した頬の、荒くなった息を隠さない<おれ>と目が合って、粘膜で、指先で、視覚で<おれ>の興奮が分かって嬉しい。
「久しぶりに使うか」
後ろでオレを撫で回して舐め回していた<俺>が、ベッドの上を這いずって、サイドチェストの一番上の引き出しを開ける。そこに何が入ってるか、オレはよく知ってる。
「久しぶりなのか」
「いつも、こんなものがいらないくらいぐちゃぐちゃになってるからな」
「それはそれは」
どこか自慢げに言った<俺>を、<おれ>が鼻で笑った。
「んっ」
ほんの少しだけ冷たい粘度の高い液体が、<俺>の手を伝って狭間にたっぷり落とされる。今の時季は前もって温める必要もなくて、すぐに使えて便利だなとか考えてしまう。
「んー、や」
ふたりの唾液と、伝う先走りで十分に濡れたそこにさらにぬめりが加わって、いやらしい湿った音しか出さない中心に<俺>の指がなんの引っ掛かりもなく一気に一番奥まで入ってくる。二本の指でぐちゃぐちゃと粘液を馴染ませて、慣れた指が疼く奥を遠慮なく突いて堪らない。
「んんんっ、んーっ」
手を伸ばした<おれ>が両方の乳首を捏ねて、<俺>のもう一方の手がオレのを緩く扱いて、体が勝手に大きく跳ねる。
「んう、ふあ、も、だめ、オレ……」
全身どこもかしこも気持ちよすぎてもう舐めてられなくて、<おれ>のを握ったまま腿に頬を付けて首を振る。
「欲しいんだ?」
握った掌に擦りつけるように、<おれ>が腰を揺する。
「ん、ん、欲しい」
「これ?」
「やぁっ」
指を抜いた<俺>が、入り口に自分のをあてがってつつく。蕩けて脈打って痛いくらいのそこが、待ちかねた硬さを感じて柔らかく口を開けたのがよく分かった。
「あ、それ、それ、入れて、早くっ」
「んー、どうしようか」
意地悪く笑って、<俺>が狭間で何度も往復する。少し位置をずらせば簡単に入ってしまいそうなのに、のんびり焦らしてそうしてくれない。
「やだ、はやく、お願い、<俺>」
振り向いて肩越しにねだると、<俺>がちらりと<おれ>を見る。
「時間、ないんだろ?」
「……二本は無理か」
「それはやめろ」
<おれ>の恐ろしい提案を、<俺>が即座に否定する。まあ、この体は<俺>の体でもあるんだし。
「俺達のモトのお前に敬意を表して、譲ってやるよ」
「いまいちその敬意が伝わらない言い方だな」
「そうか、悪いな。俺はこういう性格だからな」
「ふん」
散々からかわれた<俺>が、やっと<俺>らしい言い方で<おれ>に言葉を返す。でもそれは決して険悪なものじゃなくて、<俺>も<おれ>も、にやにやして楽しそうな応酬だ。
「また交代。キスして、<オレ>」
「うん」
体を起こされて、抱きしめられて<おれ>と唇を合わせる。目を開けたまま、見つめ合って舌を絡ませる。<おれ>の優しい目の中に、泣きそうな情けないオレの顔が見えた。
「愛してる」
「うん。オレも、愛してる」
息ができないくらいに強く抱き合って、名残惜しそうに<おれ>が離れていく。入れ替わりに<俺>が腕を引いて抱きしめて、こうすることが慣れきった<俺>の体にしがみついた。
「<俺>も言って?」
「なにを?」
「……さっきは言ったのに」
「じゃあいいだろ」
「……意地悪」
どうにも天邪鬼な<俺>の唇に噛み付くと、<俺>が珍しく声を立てておかしそうに笑った。
「ほら、お待ちかね」
うつ伏せになって腰だけを高く上げさせられて、<おれ>のが後ろをつつく。
「入れていい?」
「ん、早くきて」
親指で肉を左右に割られて、<おれ>の先端がゆっくり入ってくる。にちにちと襞を押し退けて進む待ち侘びた感触に、ぞわっと全身に鳥肌が立った。
「あ、あ、すご、おっき……」
「自画自賛?」
「ん……ば、か」
たっぷり濡らされたせいで、<おれ>のがすんなりと根元まで入った。オレに包まれた<おれ>のがびくびくと震えて、それだけで無意識に締め付けて<おれ>をじんわり味わう。
「ああ、すごいな……。お前、いつもこんないい思いしてるのか」
「ふ、童貞のお前には刺激が強すぎるか」
「うるさい」
とうとう<俺>が形勢逆転した。そっか、<おれ>って……そうだよな。でも、それを言ったら<俺>だってオレと初めて会った時はそうだったんだし、オレは二度も自分自身の『初めての人』になったってことか。なんか……すごい。
<おれ>が入れたまま腰をゆっくり揺さぶって、粘膜同士を捏ね合わせる。もっと激しくしてほしくて、恥ずかしげもなく自分から腰を揺らしてせがむ。
「はぁ、もっと動いて、いっぱい」
「じゃあ、<俺>の、してあげて」
「あ……」
顔を上げると、目の前に猛りきって蜜を零す<俺>のがあって、思わずうっとりしてしまう。この場はおあずけをくらった愛しい塊を、大きく口を開けて舌を伸ばして迎える。
「んう、う、んん」
後ろを擦ったせいで<俺>のにも絡み付いた、人工的な粘液を清めるように舐め取ってから喉奥まで飲み込むと、<おれ>が出し入れを始めた。オレの腰を痛いくらいに強く掴んで、凶暴に抉られる。硬い<おれ>の熱と、柔らかく蕩けたオレの熱が混じり合って、ひどく卑猥な音が否応なしに耳を打つ。
「んく、ん、んーっ」
<おれ>の揺さぶりに合わせて、<俺>も腰を揺すってオレの口内を犯す。両手で頭を包んで、えずくほどに突き入れられてるのに、そうされることがますます快感を煽って、オレの頭の中を真っ白にする。
「中ぎゅうぎゅう。<オレ>、すごい気持ちいい」
息を荒げた<おれ>の声が、心地いい。
「上も下も男の銜えて、いい光景だぞ、<オレ>」
詰る<俺>の声も、鼓膜を甘く痺れさす。
気持ちいい。気持ちいい。めちゃくちゃに擦り上げる<おれ>の硬いものも、押さえた手の熱さも、低い声も全部気持ちいい。喉を突く<俺>の苦みが、乱れた荒い吐息が、欲情に染まりきった艶めかしい顔が、オレの体の奥底から快感だけを引きずり出す。
ずっとこうしていたい。ずっと、<おれ>と<俺>と、気が狂いそうなくらい気持ちよくなって、お互いを隙間なく感じ合って、ずっとずっといやらしいことだけをしていたい。このまま夜明けなんかこなくて、この交わりが終わらなければいいのに。
「顔見たい」
少し動きを緩めた<おれ>が、掠れた声で呟く。頷いた<俺>が、体をずらしてオレの口から出て行ってしまって、思わず舌で追うと苦笑された。
「んあっ」
<おれ>のも一旦抜かれて、いきなり空間ができた内側が寂しそうに引き攣れた。
「やだぁ……」
「すぐやるから。こっち向いて」
「ん」
体を裏返して、仰向けになる。正面の<おれ>に大きく脚を広げられて、言葉通りすぐまた<おれ>のが入ってくる。
「あっ、きもちい……。前からするの、一番好き」
「当たる?」
ぐっと突き上げて、一番奥まで先端が届く。ぶつかった粘膜が、感電したみたいに痺れた。
「んあっ!ん、奥まで、きて、るよ……」
素直に言うと、にこっとした<おれ>が体を折って顔を寄せて、小さくキスをした。
「だいすき」
「おれも、大好きだ」
唇を付けたまま吐息で囁くと、<おれ>も同じく返してくれる。嬉しくて切なくて、目の端から涙がひとすじ落ちた。
「お前達だけでいちゃつくな」
オレの横でやり取りを見ていた<俺>が、拗ねた口調で<おれ>を引き剥がして、オレの唇に吸い付く。
「<俺>は?」
「なにが?」
「もう……バカ」
どうしても言わない。その理由は単純だ。こいつは、言うのが恥ずかしいんだ。普段は散々いろんな意味で恥ずかしいこともいやらしいことも呼吸するみたいに平然と発するくせに、好きとか愛してるとか、そういう言葉は照れて照れて仕方がないらしい。隠してるみたいだけど、オレは知ってる。
<俺>の恥ずかしポイントはよく分からないけど、そんなところがなんだか無性に<俺>らしいと思う。それが<俺>だ。オレの大好きな、意地悪で天邪鬼な愛しい半身。
「頭、乗せろ」
少し上体を浮かせて、オレの左横で脚を開いて正座した<俺>の右腿に凭れる。そのまま<俺>を見上げると、<俺>もオレを見て小さく笑って、そっと頭を撫でた。
「<俺>……」
言葉にはしないけど、<俺>の瞳が、仕草のひとつひとつが、オレへの愛情をきちんと伝えてくれる。言うのは恥ずかしがるくせに、こんなとこはむしろこっちが恥ずかしくなるくらいだだ漏れで、本当に<俺>というやつは分かりやすいのか分かりにくいのか分からない。
「ひあっ!」
揺りかごが揺れるようにゆるゆる動いていた<おれ>が、いきなり激しく動き出して悲鳴が上がる。
「おれとしてるのに、<俺>のことばかり考えるなよ」
「あ、あっ、ん、だっ、て、はあっ!」
今度は<おれ>が拗ねた口調で妬いて、頭上の<俺>が鼻を鳴らす。それを聞いた<おれ>はますます動きを激しくして、がくがく揺さぶられる体を<俺>が支えて、オレの肩に熱くなっているものを擦り付けて濡らす。
「ん、ああっ、きもちい、気持いい」
当たる最奥も、擦れるポイントも信じられないくらい気持ちいい。絡み付く粘膜を火傷しそうなくらい乱暴に擦り上げたかと思うと、ゆっくり溶け合わせるように捏ね回す。<おれ>の巧みな律動が、オレを激しく甘く包み込む。
「気持ちいい?」
「うん、うん、すご、あっ、きもちい」
「そうか」
「やあっ!」
狂うポイントを太い先端でくんっと突かれて、背筋が痺れた。
「あっ、あ」
肩で擦られていた<俺>のが、オレの頬をつつく。濃く色付いて膨れ上がったそれがなんだかかわいそうで、これも中に迎えたかったといやらしいことを思って、顔を向けて舌を出すと、<俺>が少し腰を浮かせて半ばまで差し入れる。
「んっんん、んうっ」
「ああ、<オレ>、すごいいやらしい」
「んーっ」
<おれ>がうっとりと感嘆する。もっと見てほしい。いやらしくて浅ましいオレを、もっと、お前に焼き付けてほしい。
「ん、は」
「っ、<オレ>っ」
<俺>のを銜えたまま<おれ>に視線を向けると、<おれ>は切なく眉を寄せて、中で大きく震えた<おれ>のを壊れるくらい打ち付ける。
そう、もっと。<おれ>、お前を、もっともっと。
オレも自分から腰を振って、<おれ>のをもっと奥まで受け入れる。
「あむ、ん、んんっ」
銜えた<俺>の茎を激しく扱いて、先端を舌で転がす。オレの動きに合わせて<俺>も腰を揺すって、舌に、頬裏に擦り付ける。とめどなく溢れる先走りを、零すことなく啜り込んだ。
「ちょっと、もう……」
「ふん、ずいぶん早いな。もう少し<オレ>を楽しませてやれよ」
「時間がないって、っ、言っただろ」
「仕方ないな」
「ん、ん」
扱くオレの手ごとまとめて包んで、<俺>が自分のものを強く扱く。口の中でより苦味が濃くなって、追い上げる<俺>を煽るように必死で舌を使う。
「んんんっ!」
<おれ>がオレのをぎゅっと握って、出し入れと一緒に扱く。ぐちゃぐちゃのそこはもう摩擦感なんてなくて、<おれ>の掌の熱を感じて痛いくらいに電流が走るだけだ。
「まだ、締まる……」
中の<おれ>は、オレのと同じものとは思えないくらい硬く大きく膨らんで小刻みに痙攣していて、その瞬間がすぐそこなのがよく分かる。
「もっと、舌、使え」
口の中がいっぱいで息ができなくて苦しいけど、<俺>にもっとよくなってほしくて、弱いところに舌を絡めて口を窄めて吸い込む。
「んあっ、んうっ!」
<俺>の指先が尖りきった乳首をぐりぐり捏ねて、思わず<俺>から唇を離しそうなったのをなんとか堪える。
腰を掴む<おれ>の手に手を伸ばして指を絡めると、凶暴に腰を使って荒い息をつく<おれ>が優しく笑った。
より一層激しく出し入れされて、強く扱かれて、腰元から広がった射精感が、一瞬で全身を侵す。
「っ、もう、出る」
「くっ、ああ」
「んーっ!」
<おれ>と繋がったところが、<おれ>が扱き上げるものが、<俺>に吸い付く唇が、部屋中に卑猥な濡れた音が響いて、いやらしくて気持ちよくて、なにがなんだか分からない。
ただ、<おれ>も<俺>もオレも、限界まで昇りつめたのだけは分かる。だから、<おれ>とももう、最後の時だと。
「っ、<オレ>っ!」
「んんんんっ!!」
ふたりが同時に艶かしくオレを呼んで、<おれ>の掌の中でオレのが勢いよくしぶいて目の前で火花が散る。鼓動の速さと連動するように震えた体が、中の<おれ>と、口の<俺>を引き絞る。
「うあっ……」
「うっ……」
「んんっ」
まだオレのが精を零している間に、不規則に震える<おれ>のが体内に熱い体液をどくどくと注ぐ。最奥で放たれたそれは、際限なく溢れて、まるで爛れたオレの内側を癒すかのようにじわじわ広がっていく。
「んっ、ん、ん」
口の中で達した<俺>のを全て飲み下して、残滓も余さず吸って名残惜しくしばらくしゃぶっていると、<俺>が小さく喘いで苦笑する。
「ほら、もういいから」
「ん、やだ……」
「まったく」
顎まで飛び散ったオレのを指で掬って、ひと舐めしたあとオレの口元に運ぶ。きれいに舐め取って、慰みにそのまま指をしゃぶると、<俺>が顔を寄せてきたから今度は唇にしゃぶり付いた。
「ふあっ」
完全に萎えた<おれ>ものが抜かれて、まだ余韻に浸っていた粘膜がまとわり付いて震える。同時にどろりと熱いものが溢れてきて、その感触におさまった熱がまた刺激されてしまう。
「今度は<俺>にしてもらえ」
<おれ>が覆い被さって、強く抱きしめられる。オレもその背に腕を回して、強く抱きしめる。唇を合わせて、舌を絡めて、<おれ>の優しくて甘いキスを夢中で受け止めていると、心地好くてなんだか無性に眠くなってくる。
「あ、<おれ>……」
鼻先をくっつけて見つめ合って、まだこの目の中に<おれ>を映していたいのに、眠くて眠くて、まぶたを開けているのが辛い。
「や、だ」
いやだ。いやだ。まだここにいて。もっとオレを見て。撫でて。キスして。囁いて。
まぶたが完全に閉じられる間際、微笑んだ<おれ>が小さく「愛してる」と囁いたけど、瞬間オレの意識は闇に飲み込まれて、その言葉に同じ言葉を返すとこはできなかった。
「はっ!!」
目が覚めたと同時に、がばっと飛び起きた。なんだか、ものすごい夢を見ていた気がする。とてつもない、夢だとしても信じられないような夢だ。
反射的に時計を見ると、まだ六時を過ぎたばかりで、起きるには中途半端な時間だと思う。
ばくばく脈打つ鼓動を宥めるように胸を撫でて、ふと横を見ると、<俺>がひとりで丸くなって眠っている。オレの半身の<俺>が、ひとりで。
体が重い。昨夜は<俺>としてないのに、ついさっきまで激しく体を交わらせていたような、腰から体が崩れていきそうな疲労感が、体の奥でぐずぐずと燻っている。
ちゃんとパジャマを着て寝たはずが今は全裸になっていて、敷かれているシーツの色も昨夜とは違う。
(夢──ゆ、め)
「お、<俺>、<俺>、なあ、起きて」
「ん……」
<俺>の体を揺さぶって呼ぶと、眉を寄せて呻いた<俺>が、ゆっくり目を開ける。
「ん。どうした?<オレ>……」
「<俺>……」
寝ぼけ眼をしばたたかせて、また目を閉じようとした<俺>が、急にはっと目を見開いて身を起こした。
「<オレ>」
オレの頬を両手で包んで、確認するように何度も撫でる。その手に手を添えて、ぎゅっと握った。
「すごい夢を見たんだ」
「……ああ、俺もだ」
オレと同じ体を抱きしめる。しなやかな体が、こうするために生まれてきたかのようにぴったりと合わさる。
違う。夢なんかじゃない。確かにオレは、この体と同じもうひとつの体を抱きしめた。抱きしめて、キスをして、その熱を受け入れた。
オレと<俺>のモト。ひとつのひとりの佐伯克哉。<おれ>。
オレでも<俺>でもない、オレであり<俺>でもある本来のひとつの佐伯克哉。オレ達がふたつに別れなければ、ここに存在していたはずの<おれ>。
ふたつに別れたから、オレは<俺>と出会えて、愛し合って、こんなにも幸せなのに。オレ達はあの<おれ>から、本当は<おれ>に与えられるはずだった何もかもを、奪ってしまったんじゃないか。オレ達がふたつにならなければ、ふたりにならなければ、この幸せは、<おれ>のもののはずだったのに。
「おい」
「わあっ!な、なにすっ」
「何変なこと考えてる」
<俺>ががぶっと耳に噛み付いて、思わず仰け反ると、怒った顔をした<俺>と目が合った。
「……別に、なにも……」
目を逸らして口篭ると、<俺>が盛大に溜め息をついて、またオレを強く抱きしめた。
「俺といるのがいやになったのか?」
「は!?なんでそうなるんだよ」
「どうせお前の単純な思考回路は、俺達が別れなければ、佐伯克哉の人生はあいつのものだったのになんてくだらない電気信号でも流したんだろう?」
「う。ち、ちが」
「お前はつくづく馬鹿だな。俺達がふたつに別れたのは、佐伯克哉の意思で、佐伯克哉がそうすると選んだ人生は、他の誰でもない佐伯克哉のものだ。同じ佐伯克哉なのに、俺のものだのあいつのものだのあるか」
「でも……」
「あいつも言ってただろ。あいつは、俺になってお前になった。俺達がこのままふたりでいたいと願ったのも、俺達がふたりで同じことを願ったんだから、それは紛れもなく佐伯克哉の願いだ。逆に言えば、あいつは存在を持たない代わりに、俺の感じる幸せと、お前の感じる幸せの二倍の幸せを手に入れたってことになる」
「……お前も、幸せとか思うんだ」
「……うるさい」
「あっ、もう、やめろよ」
また耳を噛まれて、オレもお返しに耳に噛み付こうとするけど、察した<俺>に顔を引いて避けられた。
間近に見合わせた顔を寄せて、こつんと額を合わせる。鼻先を付けて、甘えるように擦り付ける。
「俺達は佐伯克哉だ。ふたつだろうがひとつだろうが、同じ佐伯克哉だ。俺が持たないものはお前が持って、お前が持たないものは俺が持ってる。そして同じものを持ってる。俺はお前で、お前は俺。ふたりでひとつで、ひとつだけどふたり。それだけだ。ぐちゃぐちゃ余計なことを考えるな」
「……だって、オレはこういう性格だから」
「ふん、そうだったな。ぐちゃぐちゃうじうじ考えて無駄に落ち込む、湿っぽいくっらい性格だ」
「あー、ひっどーい。そこまで言わなくてもいいだろー」
合わせた額を軽くぶつけると、<俺>が笑った。オレも拗ねた振りしながらも笑って、抱き合って体を揺らして、しばらくふたりで笑い合う。
「<俺>」
見つめると、<俺>もオレを見つめ返す。意地悪で素直じゃないのに、オレを見る目は、いつだって優しい。<俺>の、<おれ>の、佐伯克哉の瞳。
「んっ」
愛しくて堪らなくて、唇に吸い付くと、オレと同じ<俺>も同じことを思ったのか、すぐさま舌を入れて絡ませる。
ああ、<おれ>とあんまりキスできなかったなと思ったけど、この<俺>は<おれ>でもあるなら、<俺>にキスしてるってことは<おれ>とキスしてるってことになるんだから、それでいい。
「は……<俺>」
たっぷり貪って唇を離して、また額を合わせて見つめ合う。愛しい瞳。愛しい、愛しいお前。
「愛してる」
<俺>が囁く。ちょっと頬が赤くて、照れてるのが分かるけど、でも真剣に紡いだその言葉がオレの体の奥底まで染みて、溢れた喜びと愛しさが、雫となって零れた。
「オレも、愛してる」
本当はこんな言葉じゃ足りない。もっとこの思いを、余さず伝えられる言葉があればいいのに。
もどかしいけど、オレはこの言葉しか知らないし、お前はオレだから。オレの思いの強さを、お前はちゃんと分かってくれてるはず。オレも、分かってるから。
だから、これからもずっと、誰よりも愛しいお前に、お前がくれる言葉と同じ言葉を返していくよ。
∞あとがき∞
もしも (前後編) ∞
2012.07.01