Sweeten ☆
エロ有
オリキャラ超注意*捏造超注意*眼鏡様が女々しい&不安定&弱すぎ




 営業ってのは、まず自分を売り込むことだ。
 第一印象は大切だ。
 お前みたいに、顔がよくてスタイルもいいやつは、それだけで人の心を掴むもんだ。
 人は外見じゃないが、それが人より優れているなら、活用しないなんてもったいないだろ?
 常に明るく爽やかに笑っていれば、話くらい聞いてやってもいいかと思ってくれる。単純だが案外そんなもんなんだよ。
 ほら、詐欺師なんかもそうだろ? まずはいい身なりで愛想よく人を引き付けて、言葉巧みに騙くらかす。
 って、俺たちは詐欺師じゃねえし騙してもねえけどな。
 話術はこれからいくらでも身に付く。下手に誇張して派手に売り込むんじゃなく、商品のメリットもデメリットも正確に説明できるお前の実直さは最大の武器だ。そこをもっと磨け。
 お前は頭がいいんだから、余計なことをあれこれ考えなくても、あらゆる場面に対応できる交渉術をいつの間にか自分のものにできてるはずだ。
 すぐには結果が出ないかもしれない。お前はそんなタイプだろう。
 でも焦るな。お前はきっと、いつか大きなことを成し遂げる。
 それまでは辛いかもしれない。やめたいと思うかもしれない。でも駄目だ。折れるな。踏ん張れ。
 ひとつひとつ、こつこつと続けていけば、お前は絶対にそこまで辿り着く。
 なんでかって? 俺がそう思うからだよ。
 だからほら、顔を上げて、前を見て、その一歩を踏み出せ。


 キクチ・マーケティングに入社して、およそ不向きな営業部に配属されて、教育係として付いた男は、元ラグビー部だというでかくてごつくて熱いバリバリの体育会系だった。
 愛想がよくて、調子がよくて、営業成績は一課のトップで、部署内外の上司からも部下からも信頼されている、言わばできる男だ。
 そんな奴が、営業部に配属された新人の中で最も地味でできの悪い<オレ>をやたらに買っていた。
 周りは当然疑問に思った。
 優秀な社員が、誰がどう見ても使えなさそうな新人になぜそこまで熱心に指導するのか。
 あいつのどこにそんなに入れ込む要素があるのかと、わざわざこちらにも聞こえるように尋ねる社員もいた。
 そんな時は奴は、あいつはすごいやつだ、なんでって聞かれてもうまく説明できないが、直感だ、と答えた。
 それを聞いて、他の社員はますます首をかしげた。
 どう見ても、ただ背が少し高いだけの駄目新人。こいつがすごいやつ? どこが?
 揃って訝しげな顔をする社員の中で、奴の言葉に大きく頷いていたのは、偶然にも同じく営業部に配属された新人社員の本多だけだった。


 ソファ前のローテーブルに置いたノートパソコンと睨み合って、うーんと呻る半身の背後で、なんとなく奴が浮かんだ。
 画面に映し出されている様々な形のボトルの中に、奴の愛用していたものが並んでいたからだろうか。
「なあ、お前はどんなのがいいんだよ」
「んー」
「今のがやっぱ一番好きだけどさ、年齢的にちょっと爽やかすぎると思うんだよな」
「んー」
「真面目に聞けよー」
「んー」
 香水は好き嫌いがあるし、そんなもの男が付けてって思う人もいるから、営業職ではほんとは避けたほうがいいんだけどな。俺好きなんだよ。
 部署内の新人歓迎会の席で、奴が言った。
 言われるまで、奴が香水の類いを付けてるなんて気付かなかった。
 確かに、たまに何かの香りを感じてはいたが、近くにいても分からないし、空気が動いてほんの僅かに香るかどうかというほどだったから、シャンプーやボディソープの香りだと思っていた、
 奴はどうやら香水マニア、というより匂いフェチらしく、自分の愛用品だの恋人に付けてほしい香りだの、『俺がそそる香り』を滔々と語って、こいつは酔うと必ずこの話をするから聞き流しておけ、と他の社員にこっそりと耳打ちされた。
 そんなアドバイスもむなしく、流されやすい馬鹿な半身は、奴があまりにも熱く語るもんだからすっかり影響されて、後日百貨店のフレグランスコーナーに足を運んでいた。
 当時は無意識だったが、こいつも匂いフェチなところがあるから、どこか共感した部分もあったんだろう。
 初めて目にした香水の種類の豊富さに驚いたものの、すぐさまひとつだけ気に入る香りを見つけた。
 こいつは服のセンスは壊滅的だが、その他のことにおいてはそれなりに優れた感覚を持っている。特に嗅覚や味覚については顕著だ。
 シトラスベースのそれは、あまりいかにもな感じがせず、爽やかでほどよく甘い、こいつによく合う香りだった。
 いきなり香水というのも恥ずかしいと誰も気にしないことを気にして、オードトワレと一緒に同じ香りのコロンも買って、しばらくこっそりとコロンのほうを付けていた。
 会社に着けばほとんど飛んでしまう程度だったのに、奴は目敏く──鼻敏く?──気付いて、××買ったのか、それ選ぶなんてお前センスまでいいんだな、なんだよいい匂いさせて、男前度がさらに上がったじゃねえか、などとべた褒めした。
 こいつは心のどこかで、奴に憧れを持っていた。
 自分とは正反対の、明るくて、人を圧倒するパワーがあって、仕事ができて、充実した人生を送る眩しい男。
 誰のことも信じない。誰とも深く関わらない。何にも期待しない。そうして生きてきたこいつが、奴にはほんの少しだけ心を開いていた。
 本当にほんの少しだけだ。付き合いは仕事上だけだったし、別にそれ以上奴と仲良くなろうなんて思ってたわけじゃない。
 自分とは異なるものへのほんの少しの興味。近づいてみたいというほんの少しの憧れ。
 俺はそれが、無性に気に入らなかった。
「気になるのないんだったら、明日オレが勝手に選んじゃうよ?」
「んー」
「もー、さっきからんーんーんーんー」
「別に付けなくていいだろ」
「そうなんだけど、付けるの慣れちゃってるから、付けてないとなんか落ち着かないんだよな」
「自分の容姿に自信がないやつは、自分を過度に装飾することでなけなしの自尊心を保ってると言うが?」
「あーはいはいそうですねっ。かっこい~いお前と違って、オレはそういうアイテムに頼らないと自分に自信が持てないんですー!」
「子供か」
 ぷうっとむくれた背中を抱き直して、耳の後ろに鼻先をもぐらせて深く息を吸い込む。
 俺と同じ匂いが胸を満たしてほっとする。
 ぐりぐりとすり寄ると、もう、なんて言いながら、くすぐったそうに身を捩った。
「──小森さん、どうしてるかな」
「……あ?」
 半身の匂いを存分に堪能してせっかくいい気分になってきたところで、思い出したくもないのに思い出していた奴の名前が出てきてどす黒い声が出た。
 なんだお前は。俺の心の中でも読んだか。
「覚えてない? 小森さん。キクチに入社した時教育担当してくれた営業一課の人」
「……さあ」
「覚えてないか。オレたちが入った年の秋に辞めちゃったからな」
「……ふうん」
「あの人、香水マニアだったんだよ。それまで香水とか全然興味なかったけど、影響されちゃって今使ってるやつ初めて買いに行ったんだ」
 知ってる。今まさに同じことを思い出してたとこだ。
「実家継ぐって辞めたんだけど、それから全然連絡取ってないから、どうしてるのかなーって」
「……」
 どうしてるのかな? どうでもいいだろう、そんなこと。あんな男のこと。
「すっごい仕事できてさー、でも全然驕ったとこなくて、優しくて、頼りになって。オレちょっと憧れてたっていうか、ひそかに目標にしてたんだよな。でもオレじゃあんな人になれるわけないし、せめて真似できることしたくて、香水なんて。オレってバカ」
 そうだな。お前は馬鹿だ。大馬鹿だ。
 俺の前で、いけしゃあしゃあと奴の話をするなんて。
「わっ、ちょっと」
 シャツの裾から手を入れると、油断して俺に体を預けていた<オレ>がびくりと震えた。
 逃れようとするのをきつく抱きとめて、ちゅうっと音を立てて首筋を吸って跡を付けてやる。
「や、今日は、もう、だめ」
 週末はいつものようにずっとベッドの中だった。今日の昼でようやく終戦となり、ひと休みしたあと手分けして家事をして、夕飯を終え物理的に腹も膨れたし、俺もあとはもう満足だと思っていたが、お前が奴を持ち出して煽ってくれたんだから仕方がない。
「あ、ん、なんで、急に」
 確かに奴は、<オレ>の、佐伯克哉が持つ本来の能力を見抜いていた。
 モトの佐伯克哉から全く等しく分けられた、俺と<オレ>の同一性。
 奴が<オレ>に目をかけていたのは、俯いて背中を丸めた姿に隠れていたそういう優秀な面を評価してのことでもあったが、それ以外にも大きな理由があった。
 馬鹿なお前は全く気付いていなかっただろう。
 初々しい後輩を温かく見守る先輩としての純粋な視線の奥底に秘めた、赤々と燃え盛る炎。お前に密かに注がれていた情熱。
「あっ、<俺>、だめっ」
 キクチでの最後の日、頑張れよと乱暴に頭を撫でたその手が汗ばんで小さく震えていたことを。その意味を。
 お前はこれっぽっちも分かってなかった。
 ほんの少しの興味。憧れ。尊敬。
 そこから何が生まれるのか。何が生まれようとしたのか。
 馬鹿なお前は、これっぽちも。
 俺はそれが、とにかく、無性に気に入らなかった。


 第一、この百貨店だって、奴がフレグランス類の品揃えが豊富だからと教えたところで、それもどこか気に食わない。
 だが、実際ここ以外でこれだけの数を取り扱っているところはないんだから、とりあえずは目をつぶっておいてやる。
「ん、やっぱこっち!」
 気になっていたふたつを片方ずつ手首に付けて、しばらく辺りをぶらついて馴染ませていたが、どうやら決まったようだ。
 いつもなら、俺の意見も聞くために眼鏡をかけて、携帯のメモにでもメッセージを入れて意志疎通するが、この件に関しては<オレ>に一任したし、オリエンタル系が強調された新しい香りにも異論はない。
 そのセンスをなぜ服装にも適応できないんだと中で苛む俺に気付くはずもなく、選んだ香水の番号札を手にうきうきと会計に向かおうと振り向いた視線の先。
「あっ」
(っ!)
 向かいの陳列棚を見つめる、でかくてごつくて、いかにも体育会系な男。
 昨夜忌ま忌ましく思い出していたあの男が、なぜか目の前に立っていた。
 どうして、奴がここに。実家のある福岡に帰ったんじゃないのか。
 いや、そんなことはいくらでも理由がつく。それよりも、なぜ、昨日の今日で、このタイミングで。
「小森さん!」
 中で激しく思考を巡らす俺にやっぱり<オレ>は気付くはずもなく、弾む声で奴に呼びかけた。
 やめろ。声をかけるな。
「はい? っ!! さえ、き……」
 名を呼ばれて振り向いた奴は、思いも寄らなかった人物が目の前にいたことに驚いて目を見開いた。
 それはそうだろう。もう二度と会うことはないと、ほろ苦い想いを伝えずに押し込めた相手と、ほんの数年で対峙したんだから。
「覚えててくださったんですか? 嬉しい! ご無沙汰してました、お元気でしたか?」
 動揺する俺と奴を尻目に、<オレ>は奴に駆け寄って、はしゃいで畳み掛ける。
 心の中では、会えた嬉しさがこれでもかと溢れている。
 まったく、気に入らない。
「あ、ああ……佐伯も、元気だったか」
 驚きに目を見開いたまま、奴がぼんやりと問う。それに馬鹿みたいに能天気に答える<オレ>の雰囲気に、奴は少し飲まれ気味だ。
 奴の中では、<オレ>は自信なさげに俯いて小さくぼそぼそと話すイメージしかないだろうから、俺と<オレ>が出会って全てが解放され、まるで人が変わったような素の<オレ>に戸惑うのは当然だ。
 佐伯克哉の本当の能力は見抜いていたが、さすがに中身がこんな能天気なお花畑だとは思っていなかったらしい。
「お前、雰囲気変わったか?」
「え? あー、最近よく言われます」
 あははーと笑う<オレ>に、奴は苦笑した。どこか嬉しそうに。温かい目をして。
 くそ、そんなところを見せるからだ。やめろ。もう笑うな。
「お前、引き抜きでMGNに行ったんだって?」
「えっ、ご存知だったんですか?」
「あーまあ……人づてに聞いたんだ」
「はい。なんか信じられないんですけどね」
「信じられなくねえよ。俺いつも言ってただろ、お前はできるやつだって。プロトファイバー、俺もよく買ってるよ」
「いい製品ですから。売りやすかった部分が大きいです」
「製品がどんなによくても、売り込みが下手だとあそこまでヒットしない。八課と、お前の実力だ」
 照れる<オレ>に奴が笑う。おい、いい雰囲気を作るんじゃない。
 もどかしい。奴に笑いかける<オレ>にも、<オレ>に優しい目を向ける奴にも、俺は何もできない。
 <オレ>の中で、<オレ>が俺以外に焦がれる眼差しを向けるのを、熱のこもった眼差しを向けられるのを、黙って見ているしかないなんて、もどかしくて、もどかしくて、腹が立つ。
 黒い感情を燻らせる俺なんてないように、<オレ>と奴は会話を続ける。
 家業を継いだその後だの、今は出張中で東京にきてるだの、MGNでの仕事だの、俺には果てしなくどうでもいい、そんなことまで話してやる必要がないことを嬉々として聞いて話す<オレ>に苛立つ。
 奴の<オレ>を見る目が、どんどん熱くなっていく。数年の間に、奴は<オレ>のことなんか忘れているかもしれないと思っていたが、その考えは甘かったようだ。
 まだこの男の中には、<オレ>がいた。あの時と全く同じ熱さの想いを持って。
 だったら、もしこの男が、この再会も何かの縁だと決意して、あの時はそうしなかったアクションを起こしたら?
 そして、万が一にでも、<オレ>が──。
 あり得ないことが頭を過ぎって背筋が寒くなった一瞬、ふと、奴の手に視線が落ちた。
 わざとそうしてるかのように、体の脇に下ろされたままだったごつい手。
「あ、ご結婚、されたんですか?」
 左手の薬指に光る白金。太い指には不釣合いな細いリングが、どこか滑稽だ。
 なんだ、結婚したのか。それなのに、今こいつに、そんな熱い目を向けるのか。気付かれないように騙して。
「あー……ああ、去年、したんだ」
 急に言い淀んで、ばつが悪そうに目線を逸らして、指輪を隠すように右手を重ねる。ふん、誠実そうに見えて、とんでもない男だな。
「わあ、おめでとうございます!! オレ知らなくて」
 奴の態度を単なる照れと捉えたのか、気にせずにこにこと祝辞を述べる<オレ>は、心の中でも本当に嬉しそうで、そこには先輩を祝福する感情しかない。それに俺は少しほっとした。
「お前、お前はどうなんだ。なんか雰囲気も変わったし、いい相手がいるんじゃないのか?」
 話題を逸らしたいのか、奴がいい振りをした。咄嗟に口から出たんだろうが、いい質問だ。
「えっ!!!!」
 案の定<オレ>は、一瞬で顔に朱を刷いた。何も言わなくても、そんな顔をすれば肯定したも同然だ。こいつが単純でよかったと強く思う。
「なんだ、いるのか。そうか……いるのか。ど、どんな子だよ。かわいいか、美人か」
「えええ? いや、かわいいっていうか、美人っていうか、いや、そんな」
 かっこよくて仕事ができて優しい男だ、と本当のことを言ってやればいい。臆面もなく、衒いもなく、堂々と、オレはあいつのことが大好きだと、宣言してやればいい。
 オレはあいつしか見えない。他の人間なんて一切眼中にない。<俺>のことを愛していると。
「あーーーーっ、いいじゃないですかっ、オレのことは!」
「おお、なんだよ、いいじゃねえか、ははは……」
 どさくさに紛れて、<オレ>の頭をぐりぐりと撫でる。おい、何触ってる。触るな。こいつに触るな。
「……」
「……」
 どこか気まずい雰囲気になって、会話が途切れる。いや、気まずい雰囲気になる意味が分からない。
 <オレ>は『いい相手』についてどう答えたらいいのか分からなくて黙ってしまっただけのことだが、奴はなぜ黙るんだ。
 結婚して家庭を持った男が、昔の会社の後輩の男に恋人がいたことにショックを受けるなんて、おかしい話だろう。
 そうだ、おかしい話だ。仕事帰りに新しい香水を買いにきた。それだけのことなのに、どうして俺はこんな思いをしなきゃならないんだ。
 まったくおかしい。馬鹿げてる。
「あー……お、そろそろ行かないと」
「あっ、す、すみません、時間使わせちゃって」
「なんでお前が謝るんだよ。会えて……よかったよ」
 俺はよくない。
「はい、オレも、久しぶりにお会いできて、嬉しかったです」
 おい。
「俺が睨んだ通り、いやそれ以上だな。ほんと立派んなって、自信付けて、前向いて、なんか鼻がたけえよ」
 なんでだ。
「小森さんが、お前はできるやつだって言っててくれたからです。だからオレは、挫けそうになっても、それでも頑張れたんです」
 違う。お前がやれてきたのは、お前自身の精神力が強かったからだ。そして俺と出会って本当の自分を知った。だからだ。
「おいおい口もうまくなったなあ。お世辞でも嬉しいよ」
 また頭を撫でる。だから触るなと言ってる。
「……じゃあな」
「はい、また」
「また、そうだな。また、な」
 また、なんて二度とこない。きて堪るか。
「あ、それ、今のお前に合ってると思うぞ」
 選んだ香水を指して言う。おい<オレ>。今すぐ別のに変えろ。今すぐ。
「ありがとうございます」
 照れて笑う<オレ>に、奴も照れて笑い返す。反吐が出る。
 もう一度別れを言って、一度も振り返ることなく、奴は出口に、<オレ>はレジに向かう。
 俺の命もむなしく、奴がお前に合ってると言った香水を受け取った<オレ>は、新しい香水を手に入れたことよりも、奴に会えたことと、自分の成長を褒められたことへの喜びに満ちていて、俺はそれが、腹の中が煮え滾るほどに気に入らなかった。


「ただいまー。なあ、お……んんっ!?」
 玄関に入って体が別れた。その瞬間、目の前の<オレ>にむしゃぶりついた。
 MGNに移った時に奮発して買った革の鞄と、さっき買ったばかりの香水の入った紙袋が派手な音を立てて落ちたが、そんなことはどうでもいい。
 暴れ回る、腹の中の赤黒い感情。
 それを<オレ>にぶつけても、何にも昇華しない。だが他にどうしようもない。
 間違いなく確かに俺の腕の中にいる<オレ>の全てを感じることが、ばらけた感情のせめてもの安寧だ。
「ん、ん、んんんっ!!」
 壁に押し付けて、噛み付いて、擦り付ける。
 どうせ抗うのは分かっていたから、きつく拘束して、抵抗する間もないほどに乱暴に責め立てようとすると。
「ん、ん……」
 強張っていた<オレ>から、ふいにすうっと力が抜けた。諦めたとか、蕩けたとかじゃなく、何か推し量れない明確な意思を持って。
 どことなく心がざわめいて唇を離すと、<オレ>が、強い瞳で俺を見ていた。
 いきなりの横暴に抗議しているかと思ったが、違う。
 この世の何もかもを知っていて、何もかもを受け止めて包み込んでいるような、深く澄んだ真っ直ぐな瞳。
「──どうした?」
「っ」
 気遣うように、穏やかに発せられた言葉が胸に刺さった。
 自分のことには恐ろしく鈍感なくせに、俺には時々恐ろしく聡いお前。
 単純に騙されて、あっさり流されると思わせて、その実全てを見透かして、導いて、いつの間にか懐に入れてしまう。
 お前は俺をずるいとよく言うが、本当はお前のほうがこんなにもずるい。
「<俺>」
 柔らかい声が、強く静かに俺を呼ぶ。
 そんな声で呼ばれたら、情けなくその体に縋り付いて、掻き抱いて、全てを委ねてしまいたくなることも、もしかしたらお前は知っているのかもしれない。
「どうした」
「なんでもない」
「なんでもなくない」
「うるさい」
「<俺>」
「黙れ」
「<俺>」
 突っぱねて、体を離そうとすると、そうはさせるかと逆に強く抱きとめられた。
 痛いくらいに抱きしめているのに、そっと優しく頭を撫でる手に、胸の奥が焼ける。
 逃れようとする俺を根気強く宥める手付きが、強くてかっこいい俺が好きだというお前に弱くてかっこ悪いところは見せたくないと、千切れそうに張り詰めた見栄も宥めすかす。
 お前は俺なんだから、自分自身に見栄を張っても意味がないことだ。
「……お前」
「うん?」
 音にならないほどの吐息で呟いたのに、<オレ>はちゃんと聞きとめて、もう拒まない俺を緩く抱き直す。俺からも抱きしめて首元にすり寄ると、<オレ>の匂いが甘く鼻先をくすぐって、心の凝りをゆっくりと溶かしていく。
「お前が、奴が」
「やつ?」
「奴が」
「奴って誰?」
「さっき会ったあいつ」
「さっきって……小森さんのこと?」
「名前を言うな」
「……あの人が、なに?」
「あいつは、お前のことが」
 回した腕に力を込める。
「お前のことが、好きだったんだ」
「…………は?」
 呆けた声で聞き返す。もう一度言う必要もないから、答えずに<オレ>の匂いを深く吸い込んで、息苦しさを紛らわす。
 <オレ>は俺の言葉を必死に理解しようとしているが、露ほども思い至っていなかったことをいきなり言われても、頭の中はただ混乱するだけだろう。
「……いや、ごめん。よく、分かんない。え、だって、お前、あの人のこと覚えてないとか言ってたのに……」
 やっぱり呆けた声でぼそぼそ言うだけの<オレ>の肩に頭を預けて、ひとつ溜め息をつく。
「お前は全然気付いてなかった。あいつがお前をどんなふうに、どんな対象として見てたのか。でも俺は、お前の中で、それをずっと感じてた」
 お前を見守る瞳の奥が、色を帯びた瞬間。日毎に熱を増す視線。変化はそれだけだった。言動も、行動も、その他のことに変わったところはなかったが、目の奥だけがぎらぎらと焼けて、俺を苛立たせていた。
 多分奴自身も、そんな目をしてることには気付いていなかっただろう。周りの連中も然りだ。
 俺だけが気付いて、閉じた場所で、ひとり焦れていた。
 奴が<オレ>を好きなだけなら、気にすることじゃなかった。
 そんなことはよくあった。誰かが密かに<オレ>に想いを寄せる。そして<オレ>は気付かない。俺だけが気付く。
 好きだと言われて、<オレ>がそれを受け入れた時もあるが、誰のことも心から信用していない人間が、長く他人と一緒にいられるわけはない。
 何より<オレ>が、自分のことを全く分かってなかったから、恋愛ごっこをしてる間も多少の苦さを感じるだけで、焦燥感を味わうことはなかった。
 だが、奴に対しては、<オレ>は初めから心を開いていたし、憧れという一種の特別感情を抱いていた。
 <オレ>の本質を見抜いていた奴。初めて<オレ>が自ら少しだけ心を見せた相手。近づきたいと初めて思った相手。そしてそれが女じゃなくて男。
 それが、俺は。
「お前だって」
「え?」
 これ以上言ってはいけない。そう危険信号が出ているのに、止まらない。
「お前だって、あいつを」
「ええ? なに言ってるんだよ。確かにあの人には憧れてたけど、全然そんなんじゃ」
 またしても予想もしていなかったことを言われて、<オレ>が驚いて仰け反る。少し離れた体をまたぎゅっと抱く。
「あの時はまだ。でも、奴があのままお前のそばにいたら、お前は」
「そんな」
 まさか、という声音で呟く。
 もしかしたらあり得たかもしれないという程度のこと。それでも、確かに落とされた小さな灯。
「お前は何も分かってなかった。奴の想いも、お前自身の火種も。でも、俺は、お前の中で、ずっと……」
「<俺>……」
 しばらく沈黙した<オレ>は、ふいにはっと向き直って、俺をきつく抱きしめた。
「ごめん」
「謝るな」
「うん。ごめん」
 <オレ>が耳元にそっとくちづけて、少し顔を離す。額と鼻先を合わせると、柔らかい吐息が唇にかかる。
「ごめんな。お前のこと、気付いてやれなくて」
 すり、と、合わせた鼻先を擦り付ける。
「お前はずっとオレの中にいたのに。一番そばにいたのに。オレを見てたのに」
 また顔を離して、真っ直ぐに俺を見る。俺をずっと守り続けて、優しく包み続けた<オレ>の目の中に、眉根を寄せた情けない俺が映る。
「全然、分かってなかった。ごめん」
 お前にこんなことを言わせるつもりじゃなかった。何をしてるんだ、俺は。
「……謝るなって、言ってる」
「うん」
 頷いて首元にもたれた<オレ>の頭をもっと抱き寄せる。
 分かってないのは当然だ。<オレ>にはその記憶はいらない。それが俺たちの、おれの、佐伯克哉の選択だった。それでいいと、佐伯克哉が決めた。
 ふたつに別れたあと、俺が勝手にお前に想いを抱いて、勝手に募らせていただけだ。
 気付かない<オレ>に焦れて、拗ねて、こんなふうに責めるなんて、お門違いもいいとこだ。
 だが、一度零れると、それが呼び水となって次から次へと溢れ出す。
 かつて<オレ>に想いを寄せて、<オレ>にもほんの僅かその可能性があった奴を思い出して、そいつと再会した。
 それだけのことが、俺をこんなにもおかしくさせている。
 無言で抱き合ったまま、俺をさすり続けながら<オレ>はいろんなことを考えているらしかった。
 体が離れている今は、<オレ>が何を考えているのかは分からない。
 もし俺の言葉を反芻しているのだとしたら、奴のことも考えてるはずで、それすら気に障る。
 何も考えなくていい。お前はただ、俺のことだけを考えてればいい。
 そもそも奴のことを持ち出したのは俺なのに、考えるななんて支離滅裂だ。
 家に帰って、<オレ>が奴のことに触れて、それを少し我慢して適当に相槌を打っていれば、この話はすぐに終わったんだ。
 昨日まですっかり忘れ去ってた奴のことなんて、すぐにまた<オレ>の中から消えるだけだったのに。
 俺は馬鹿だ。もうこれ以上痛みを感じさせたくないお前に、自分勝手な俺の痛みをぶつけて、傷付けて。
 俺はどうすればいい。どうすれば、俺が付けた傷を癒してやれる。抱きしめるだけじゃ足りない。何をすればいい。
 何かを言えばまた傷付けそうで、ひたすら<オレ>を掻き抱いてがむしゃらにすり寄ると、<オレ>は子供をあやすように心音に合わせてとんとんと俺の背を叩く。
「……大好きだよ、<俺>」
 耳元に小さく注がれた<オレ>の甘い声が、身じろげなくなっていた空気を動かす。
 同時に、痛んだ心にじわりと染みて、その切ない感触に身震いした。
「ぎゅーっ!!」
 わざわざ大きく声に出して一瞬強く抱きしめたあと、顔を合わせた<オレ>が、能天気ににぱっと笑った。
「おーれっ。大好き」
 いきなり変わりすぎた雰囲気に戸惑う俺に、にこにこと笑ったまま明るく言って、唇に唇をぶつけてきた。
「好き。好き。愛してる。大好き」
 額に、まぶたに、頬に、顔中に唇を触れながら、何度も何度も囁く。
 ひと言ひと言紡ぐたびに、膿んで腫れ上がっていた傷から、痛みが徐々に薄れていく。
 ああ、そうか。ごちゃごちゃと考えても、結局はこんなにも簡単なことか。
「好き。お前だけ。お前しか見てない。お前のことだけを愛してる」
「……俺も」
「うん?」
 首を傾げて言葉を待つ<オレ>の仕草がかわいくて、思わず苦笑した。
「俺も、お前を愛してる」
 一瞬<オレ>が泣きそうな顔をした。<オレ>の傷にも染みたはずだ。俺が与えてしまった理不尽な痛み。それが癒えるなら、何度でも言ってやる。
「<オレ>。好きだ。愛してる。愛してる。お前は俺のものだ」
「うん」
「俺だけのものだ。愛してる。大好きだ。好き。愛してる」
「うん」
 俺も顔中にキスを落として繰り返すと、<オレ>の目にどんどん涙が溜まる。
 笑んだまま瞳を潤ませる<オレ>が愛しくてたまらなくて、おかしくなりそうだ。いや、もうとっくにおかしいんだったな。
「愛してる」
 言い終わると同時に唇を合わせる。すぐ舌を入れると、<オレ>も熱い舌を絡ませてくる。
 さっきみたいに一方的にぶつけるだけのキスじゃなく、愛情を混じり合わせるための甘い甘いキス。
「んっ、ん」
 少しでも離れたくなくて、唇を隙間なく密着させた内側で濃厚に絡ませる。
 言葉だけでも十分に癒えた痛みが、跡形もなく、疼きの欠片もなく消えていく。
 最初から、優しく抱きしめて、キスをして、囁いていれば、お前を無駄に傷付けることなんてなかったんだ。俺は本当に馬鹿だ。
「ん、ん、んん」
「んっ」
 ちゅくちゅくと音を響かせて交わして、全身を擦り付ける。熱を持ち始めた互いの下肢が、舌と同じように絡む。
 足りない。もっと欲しい。これ以上に、お前をもっと感じたい。
 ふたつになった体をひとつにして、もっと、お前だけを感じたい。
「<俺>、<俺>」
 首筋を吸って、シャツの中をまさぐると、<オレ>が切なげに呼ぶ。
 鎖骨をきつく食んで歯形を付けてから顔を上げると、俺のかわいい<オレ>が、両頬をそっと包んで、壮絶にいやらしく微笑んだ。
「しよう。ベッド、いこ」
 お前が愛おしすぎて、死にそうだ。


 俺の体の間に伏せた<オレ>が、俺を見上げてふわりと笑う。
 かわいくて、いやらしい、俺にだけ見せる艶かしい顔。
 清廉な姿の裏で、こいつが本当はどうしようもなく淫乱で貪欲だなんてことは、俺だけが知っている。俺にしか知り得ない。
「大好きだよ、<俺>」
 甘く囁いて、緩く立ち上がりかけた塊を手に取って唇を寄せる。
 俺を見つめたまま、根元に、茎に、先端に、満遍なくくちづけて舌を這わす<オレ>の様に、一気に血が集まった。
「んー」
 硬く膨れたペニスを嬉しそうに含む姿が愛おしい。
 こいつは俺しか見てない。
 そんなことは分かっている。疑ってるわけじゃない。だが、時々、言いようのない不安に駆られることがある。
 こいつがもし、俺と出会う前に、今俺に向けている感情と同じ強さの想いを、他の誰かに与えていたら。
 俺はお前の中で、お前が誰かを愛して、誰かに愛され満たされて生きていくのを、何もできずにただ黙って見続けるしかなかった。
 Mr.Rが再び現れた時、<オレ>にそんな相手がいなかったのは、ただの運でしかない。
 オレなんてと俯くこいつに、誰かが力強く手を差し伸べて、こいつがそれを受け入れていたら。
 眼鏡を渡されて俺が解放された時、俺の前に、<オレ>を求める誰かがいたら。
 こいつがもし、俺を見なくなったら。俺以上に、想いを注ぐやつができたら。
 ずっとふたりでいたいと、同じことを同じ強さで願って、ふたつになれた。
 そのバランスが崩れたら。
「<俺>?」
 奉仕していたはずの<オレ>が、いつの間にか目の前にいた。
 海の底のような深い色の瞳が、優しく俺を映す。何かの歯車がひとつでもずれていたら、この眼差しは、俺以外の誰かに向けていたのかもしれない。
「いらないこと、考えるなよ」
 少し怒った顔をした<オレ>が、頬を両手で包んで、少し乱暴にくちづける。
 甘い唇を味わいながら、そんな拗ねたところもかわいいとぼんやり思う。
「オレのことだけ考えろ」
「お前のことしか考えてない」
「うそ」
「ほんとだ」
「うそ」
「ほんと」
「うそ」
「ほんと」
 妙なやり取りをしてふたりで小さく笑って、額を合わせる。じっと見つめるお前が、心から底から愛おしい。
「オレも、お前のことしか考えてない。お前のことだけ見てる」
「ああ。当たり前だ」
 強がって、いつものように不遜に言うと、<オレ>が蕩けた顔で笑う。そのままの形で落ちてきた唇を、同じ形で迎えた。
 舌を絡ませて、唾液を交わして、キスで俺と<オレ>のふたつの体を繋ぐ。
 お前のことしか考えてない。俺たちがふたつに別れてから、俺はお前の中で、ずっとお前だけを見てきた。
 お前が悩んで、もがいて、苦しんでいる時も。小さな幸いを見つけて、少しでも満たされて、僅かな喜びを噛み締めてる時も。誰かに、淡い恋心を抱いた時も。
 そのたびに、大丈夫だと抱きしめてやれない俺が、よかったなと髪を撫でてやれない俺が、存在すら知られていない俺が、歯痒くて情けなくて、気が狂いそうだった。
 お前の目の中に俺が映って、お前の体に触れて、お前が俺を求めた時、俺がどれほどの喜びに震えていたか、お前は想像もできないだろう。
 果てなく貪りながら、互いに猛ったものを擦り付け合って性感を煽ると、びりびりした快感が全身を侵して気持ちがいい。
「ん、ん、ね、<俺>」
「ん?」
 唇が離れる合間に、<オレ>が俺を呼ぶ。それに甘く答えてやると、息を切らして淫靡に微笑む。
「も、入れて、いい?」
「もう?」
「ん。欲しい。お前が、今すぐ欲しい」
 俺のを扱きながら、潤んだ瞳でかわいく求められたら、俺は頷く以外何ができる。
 もう一度深く唇を交わして、見つめ合って肌に触れて、お互いを確かめ合う。
 <オレ>がここにいて俺のもので、俺がここにいて<オレ>のものだという絶対的な不変を、<オレ>のぬくもりが改めて伝えて、眩暈がするほどの幸福感が俺を丸く包む。
「愛してる」
「オレも。愛してるよ、<俺>」
 何度交わしても全然足りないくちづけを、また激しく繰り返す。
 お前とずっとこうしていたい。俺と<オレ>の同じ思いが絡み合って、膨れ上がって、俺とお前のふたつの体を、目に見える現実を形作る。
 俺はお前を抱きしめる体を持っているし、想いを告げればお前にちゃんと届く。お前は俺を見てる。
「このまま入れる?」
「うん。オレが……」
「ん」
 覆い被さっていた<オレ>が、俺を跨いだまま膝を折って、少し身を起こす。
 腰を浮かせて、目を合わせてにこっと微笑んでから、握った先端を窄まりにあてがった。
「うっ、あ……」
「大丈夫か?」
 <オレ>の唾液と僅かな先走りに濡れただけのペニスが、全く慣らしていない<オレ>の粘膜を切り裂く。
 苦痛に歪む頬を掌で包むと、嬉しそうにすり寄ってくる。
「だい、じょぶ。このまま、一気に」
 徐々に進むより、そのほうが逆にいいだろう。なるべく苦痛を逃がしてやりたくて、腰をゆっくりさすってやる。
「ふっ、あ、あああっ!」
「っ」
 反り返った角度に合わせて、力任せに根元まで飲み込んだ衝撃のまま、<オレ>が胸の上に倒れこむ。完全には解けていない肉が、ぎちぎちと痛いくらいに締め付ける。でも<オレ>の痛みはこんなものじゃないはずだ。
「っ、あ、はぁっ」
 痛みを消す方法なら、さっき<オレ>から教わった。
「<オレ>、愛してる」
「あっ」
 痛みに耐えて、ぎゅっと目を瞑っていた<オレ>が、うっすらと目を開けて俺を見る。
 頭を撫でて微笑んで、止め処なく溢れ続ける想いを言葉にして伝える。
「愛してる。愛してる」
「あっ、あっ……」
 優しく撫でて見つめ合って囁くたびに、硬く引き絞っていた粘膜が徐々に柔らかく蕩けていく。うねる襞が俺の形に合わせて吸い付いてきて、俺にも快感が広がる。
「好きだ。お前が大好きだ。愛してる。好き」
「ん、ん、オレも」
「<オレ>」
「ん」
 顎を捕えてくちづけて、ねちっこくねぶる。先端を包んでいる奥の粘膜が、揉み込むように震えて気持ちがいい。
「ふあ」
「よく、なってきた?」
「うん……じんじん、する」
「そうか」
「あっ! や、ばかっ」
 わざと中で動かすと、びくんっと体を跳ねた<オレ>がかわいくて頬が緩む。
 もう、と睨まれたが、その顔もかわいいから両得だ。
 ひたすらでれでれとする俺に、<オレ>は噴き出して苦笑した。
「だいすき、<俺>」
 小さくくちづけたあと、<オレ>が腰を浮かせる。
「こら、まだ」
「い、から。おねがい」
 お前におねだりされたら断れるわけがない。仕方ないなと溜め息をついて、まだ蕩け始めの粘膜を傷付けないように慎重に腰を動かした。
「あっ」
 いいところに当たるように、<オレ>の動きを手助けしてやる。しこりを見つけて集中的に責めると、しがみ付いて悲鳴を上げた。
「あっ、あっ、あ、<俺>ぇっ」
 下腹に<オレ>の硬い感触が当たる。それも腹筋で擦って、後ろも前も、ぐちゃぐちゃと水音を立てて遠慮なく責める。
「あ、きもちい、気持ちいいよ」
「いい?」
「ん、ん、いいっ。もっと、もっとついて」
「いやらしい」
「んーっ」
 何度交わしてもいくら味わっても全然足りない。もっとキスをして、もっとセックスに耽っていたい。
 一生をこのままベッドの上で終えたって構わない。バカじゃないかとお前は笑うだろうが、俺は案外本気だ。
 それくらい、俺はお前を求めてる。
「掴まってろ」
「ん、ん」
 ぎゅうっと<オレ>がしがみ付く。俺も縋るように抱きしめて、すっかり蕩けきった奥底に激しく腰を打ち付けて、襞を散々に抉ってやる。
「やああっ! ああっ、あ、ああっ!」
 <オレ>の嬌声が俺をさらに煽る。俺が<オレ>だけで満たされる。あれだけうじうじと淀んでいたのが嘘のように、ここには<オレ>しかない。
 単純なことだからこそ複雑に悩む。行き着く先は驚くほどにシンプルで、答えはひとつしかないのに、それを分かっているのに、苦しんで、傷付いて、傷付けて、遠回りをする。
 それでも、ちゃんとここに辿り着けるならいい。俺が見失っても、お前が導いてくれる。お前が迷うなら、俺が引き摺り出してやる。
 俺はお前を愛していて、お前は俺を愛してる。それは一生死ぬまで変わらない絶対。
 あの時がどうとか、この時ああだったらとか、どうでもいい。
 何があっても、誰がいても、俺とお前が出会って、愛し合うことだけは、きっと俺たちが生まれた時から決まってた。
 それは運命なんて大げさなもんじゃない。当たり前なことだ。
「あ、んっ」
 身を起こして、向かい合わせに座り込む。捏ねるように腰を動かして、<オレ>の重みでより深くまで届いた先端を敏感な最奥へぐりぐりと擦り付けると、襞が生き物のようにうごめいて締め付けて、強烈な快感が脊髄を貫く。
「や、や、すごい、きもち、いい」
「俺も。中、すごい」
「お前も?」
「ん。気持ちいい」
「うん」
 嬉しそうに笑った<オレ>が、唇を寄せる。それを受け止めながら、キスをするのは今日何度目だったかと思い返してみたが、よく分からなくなったからやめた。
「もっと、いっぱい、して」
「ああ。いくらでも」
 ねだる<オレ>を押し倒して、大きく脚を広げて音を立てて打ち込む。<オレ>が一番好きな体位で、緩急をつけて快感に溺れさす。
 一番感じるところを、一番いい角度で好きに責めると、<オレ>は首を振って激しく甘く啼く。
「ああああっ! やあっ、あ、あ、<俺>ぇっ」
「<オレ>、愛してる。くっ、愛してる」
「んんっ、あ、オ、レも、オレも、ひあっ、あい、して、る」
 体を折ってまたキスをして、きつく抱きしめ合う。張り詰めた<オレ>のが体の間に擦られた刺激に、本当に食い千切られるんじゃないかと思うくらいに締め付けられて一瞬意識が飛んだ。
「お前、すごすぎ……」
「あ、あ、ああっ」
 <オレ>は目の焦点が合ってなくて、それがいやで、頬を掴んで無理矢理俺に向けさせる。
「<オレ>。ちゃんと見ろ」
「ふあ、あ、あ、<俺>、<俺>」
 覗いた瞳に俺が映ってほっとする。そう、ずっとそうして俺を映していろ。
「だめ、だめ、だめ、も、い、ちゃう」
「いっちゃう?」
「うん、うん、あああっ、きもちい、いっちゃう」
「俺もいかせて」 
「──っ!!!」
 焼け爛れて蕩けた粘膜が、混じり合いすぎてどっちがどっちか分からない。
 腿を押し付けて、さらに奥深く凶暴に責め立てる。息を詰めて小刻みに痙攣する<オレ>を強く押さえ付けて、同じ絶頂まで駆け上がる。
「ひっ────!!!!」
「っ、うあ……っ!」
 抜けるぎりぎりまで引いて、一気に最奥に打ち付けた先で、熱い襞に促されて精を吐く。頭の中が白く弾けて眩暈がする。
 同時に、膨れ上がった<オレ>の先端からも飛沫が上がって、体が何度も大きく跳ねる。吐精を続ける俺のもさらに絞られて、あまりにも気持ちいい解放に派手に喘いでしまいたくなる。
「あん、あ、あ、あ……」
「あー、気持ちいい……」
 抱き合って、余韻に痺れる体を労わり合う。顔中にめちゃくちゃにキスすると、そのたびに達した直後の敏感な<オレ>がびくびく反応するのがかわいい。
「んー」
「ん、ん」
 舌は絡ませずに、唇だけでそれでも濃厚なキスをして、息を整える。
 繰り返し吸い付いて、だいぶ落ち着いてくると、<オレ>が舌を伸ばしてきたから絡めてやった。
「愛してるぞ、<オレ>」
「オレも、愛してる。大好きだよ、<俺>」
 想いを告げ合って、また唇を交わす。
 見つめ合ったまま、甘い唾液を味わっていると、今さっき解放されたばかりの下半身が疼いてくる。
 それは<オレ>も同じで、俺を包んだままの内壁と、力をなくした肉がひくりと震えたのが分かった。
「ん、<俺>、<俺>」
「ん?」
 くちづけの合間に呼ぶ声に応えて唇を離す。
「何?」
 何が言いたいかはよく分かっているが、<オレ>からちゃんと聞きたい。
 欲しがる俺に<オレ>は見惚れるほどきれいに微笑んで、俺の頬を両手で包んで甘い声で囁いた。
「もっと」
 かわいくおねだりできた<オレ>にすぐさま反応した俺の硬い感触に、<オレ>が喉を見せて喘いだ。


「なあ」
「ん?」
 一緒に軽くシャワーを浴びて、またベッドの上で<オレ>に甘える。
 もうすっかり正気を取り戻したから多少恥ずかしさはあるが、そんなことは今更だから今日のところは気にしないでおく。
 <オレ>の胸の上から顔だけを向けると、俺の髪を撫で梳きながら<オレ>が微笑む。
「一個さ、わがまま言っていい?」
「なんだ」
「うん。あのさ、今日買った香水だけど」
 帰ってきてから玄関に放置されていた鞄と香水を取りに行ったのがついさっき。鞄には傷ひとつ付いていなかったし、香水の箱は一部へこんでいたが、瓶と中身は無事だった。
「うん」
「あれ、違うのにしてもいい?」
「……ん?」
「どっちにするかさ、迷ったじゃん。結局買ったほうにしたけど、やっぱあっちがいいなぁって」
 何を言い出すかと思えば。お前は馬鹿だな。
 本当に馬鹿で、聡くて、優しくて、強くて、かわいくて、泣きたいくらいに愛おしい。
「今更? だめ、かな……」
 撫でる指先を捕らえて、はむはむと銜えて<オレ>を味わう。
「だめだな」
 適当な声で答えた俺に、<オレ>が目をしばたたく。
「あれでいいだろ。お前が選んだんだ」
「……<俺>は、あれでいいと思った? いい匂いだと思った?」
「ああ。気に入った」
 不安げに眉を下げる<オレ>に、にっと笑って言ってやる。
「今の俺たちに合ってる」
 一瞬きょとんとした<オレ>は、すぐに満面の笑みになった。
「うん! じゃあ、あれでいい。あのままでいい」
「ずいぶん優柔不断だな」
「そうだな。オレじゃなかなか決められないから。お前がいいなら、オレもそれでいいんだ」
 微笑んで静かに強く言って、額にくちづける。
 まったく。お前はこれ以上俺に惚れさせて、どうしようっていうんだ。
「早く付けたいな」
「まだ今のが残ってる」
「うーん、じゃあさ、今の家で付けてさ、買ったやつ外で付けよう」
「意味が分からん」
「なんでー?」
「家で香水付ける必要がどこにある」
「日替わりとかだと匂い混じってよくないし。かと言って使わないと悪くなっちゃうだろ」
「だから?」
「だから家で」
「馬鹿か」
 鼻で笑うと、<オレ>が膨れて拗ねる。
 尖らせた唇を摘まんで、目の前に身を乗り出す。つんっと顔を背けたおかげでむき出しになった首筋に鼻を埋めて、思い切り息を吸い込んだ。
「あ、ちょっ」
 ボディソープのほのかな香りの奥の、<オレ>の匂い。俺と同じ匂い。
「そんなもの付けてたら」
 顔を向けさせて、ちゅっと軽くくちづける。
「邪魔だろ」
 言葉の意味が分かっていない<オレ>の首にまたぐりぐりすり寄って存分に匂いをかぐと、ようやく理解したようだ。
「もう……バカ」
 照れた声で言って、<オレ>も俺にすり寄ってお互いの匂いをかぎ合う。
 そのうちなぜかくすぐり合いになって、くだらない戯れにふたりで声を上げて笑う。
 抱き直して、間近で真っ直ぐに見つめ合う。
 <オレ>の深い色の瞳の中に、確かに俺がいる。
「愛してるぞ、<オレ>」
「愛してるよ、<俺>」
 同時に発した同じ言葉にまたふたりで笑って、もう何度目か分からない甘いキスを交わした。



 ∞あとがき∞ 
2012.10.29