BM ~Part Ⅲ~ △
BM=バカ眼鏡
俺たちのモト*→ ついぽろっと




 俺は悩んでいる。
 ものすごく、というわけではないが、まあそこそこに悩んでいる。
 全知全能のこの俺が、何にそんなに悩まされているかと言えば。
「んっ、ん、<俺>ぇ……」
 当然、この半身のことしかない。
 正確には半身そのものについてではなく、半身が引き金になって発生する事案についてだ。……いや、やはり半身そのものなのかもしれない。とにかく半身のことだ。
 俺たちが想いを遂げて、家の中のみではあるが常時分裂できるようになって一年と少し。ふたり暮らしにもすっかり慣れた。
 生活リズム、家事分担、セックス。当初は分裂の仕組みが把握できていなかったせいでなかなか定まらなかったそれらのことも、今ではルールもある程度決まり、穏やかで平和な日々を送っている。
 セックスだけは時にルールが破られ、半身の平和が乱されるらしいがそんなことはどうでもいい。なんだかんだ言ってもどうせ半身だって織り込み済みだ。
 すっかり慣れた幸せな日々。慣れた。そう、慣れすぎた。恐らくそれが問題だ。
「あっあっ、あっ……<俺>、<俺>好き、すき、あっ、すきぃ……」
 きた。
 こいつはちょっと気分が高まれば、すぐ好き好き<俺>大好きとくる。
 いやそれはいい。大いにいい。もっと言っていい。言うべきだ。
 問題はこの先だ。
「<俺>、すき、だいすき、んっ、あっあっ、<俺>、<俺>好き」
「<オレ>……」
 俺。いいか、分かってるな。今日こそは。今日こそは。
「すき、好き、好き、だいすき、大好き<俺>。<俺>、<俺>」
「<オレ>、<オレ>」
 おい。おい。耐えろ。だめだ。分かっているだろう、俺。
「<俺>だいすきぃ」
「……っ、ああ、俺も。大好きだ、<オレ>」
 ……ああ。
 今日も言ってしまった。どうしてそうなんだ。なんて意志の弱い男なんだ、俺は。
 つまり俺の悩みはこれだ。半身に、言葉で愛を伝えすぎている。俺はそんなタイプじゃない。
 瞳で語り、仕草で表し、言葉にせずとも愛を伝える。半身は例外として、男がほいほいと愛の言葉を口にすべきではないというのが俺の信条だ。決して言うのが恥ずかしいからじゃない。信条なんだ。
「愛してるぞ、<オレ>」
「んっ、んっ、<俺>ぇ……」
 それがどうだ。最近の俺ときたら。
 我慢ができない。半身に好きだと言われると、同じ言葉を返したくてたまらなくなる。
 違うな。好きだと言われなくても、ただ半身を目の前にしただけで、口が勝手に愛していると言っている。
 愛してはいる。この半身を心の底から愛しているのは紛れもない事実だ。
 だから散々態度で示してきた。お前を愛していると、全身で十分に表現してきた。十分なはずだった。
「<俺>、好き、好き」
「ん、好きだ、<オレ>」
 はあ。思わず溜め息が出る。
 なんだこれは。いつからこうなった。巻き戻して考えてみる……ふむ。よく分からない。
 気付いたら半身に好きだと言っていた。愛していると言いまくっていた。
 言うにしても、ここぞという時とか、満を持してとか、そういう使い方をすべき言葉のはずだ。
「すき、すき」
「愛してる」
 それがこれだ。言いすぎだろう。ひと晩のうち、一日のうち何度言うんだ。
 繰り返すが半身はいいんだ。もっと言えばいい。こいつはそういうキャラだ。
 俺だ。俺なんだ。俺は言葉では多くを語らず、抽象的に情を示し、翻弄するようにたまに言ってやるのが本来の姿なはずだ。
 柘榴で対面した俺たちのモト、<おれ>も言っていた。佐伯克哉の獰悪な感情を取り込んだのが俺だと。
 俺はもうずっと闇の底で眠っていた。同じ闇の色に染まり、紛れてしまうほどに。だから俺が眼鏡によって再び覚醒した時、『そう』だったのは必然だった。
 今は違う。
 俺を闇に隠してずっと守ってきた愛しい半身と想い通わせ、ぬくぬくとした愛情に包まれ、輝く世界で暮らしている。
 きっとその輝きに、闇が尻尾を巻いて逃げたんだ。直視できないほどの輝きには、どんな闇だろうと勝てるわけがない。
 時に闇は戻ってくる。気まぐれに、俺たちを惑わすこともある。
 だがそれはほんの一時のこと。またすぐに光に霧散し色をなくす。きっとこれから先も、闇が俺たちを完全に支配する時はこない。それほど半身との日々はまばゆく輝いているから。
「好き、好き、好き」
「ああ。俺も、お前が好きだ」
 にしてもだ。いささか俺は漂白されすぎだ。
 この前はついぽろっと、かわいいまで言ってしまった。
 心の中では言っていた。しょっちゅう言っていた。半身を見つめるたびに言っていた。だが実際口にするのだけは、愛していると言いまくっているこの現状で最後の砦にしなくてはと思っていたのに。
「<俺>、<俺>、<俺>」
 全てはこの半身のせいだ。この半身が愛しすぎるから、かわいすぎるからいけない。どうしてこいつはこんなにかわいいんだ。どこかおかしいんじゃないか。
 こいつは俺だぞ。異なる存在でも自分自身だ。分かってはいるのにどうにもかわいくてだめだ。ナルシストなのは十二分に自覚しているが、それにしたってちょっと異常だ。
 かわいい。愛おしい。愛おしい。かわいい。
 頭の中はずっとそればかりだから、俺が表でひとつの体になった時、思考を読まれないように取り繕うのは正直かなりの苦労がある。
 その骨折りも空しく俺が心の中でかわいいと言いまくっているのは半身に知られていたらしいが、知られていたのと言ってしまったのとでは別問題だ。
 前者なら白を切ればいい。そう思っていてほしいというお前の願望だろうとか言ってごまかせばいい。後者の場合は言葉として発してしまっているからなかなかそうはいかない。気のせい、聞き違いだと言い訳するにも限界がある。結局はしつこい半身の口を塞いで黙らせるパターンだ。ん? それはそれで悪くはないからいいか。
「あ、あ、<俺>、好き、<俺>、気持ちいい?」
「ああ。気持いい」
「うん、うん。もっと、もっとオレで、気持ちよくなって?」
 ほら。こんなの無理だろう。かわいいと思う以外何がある。こんなとろとろに蕩けた淫靡な生き物を前にして、かわいいと思わない奴がいるなら見てみたい。まあ、そもそもこいつのこんなところを他人に見せるなんてありえないから、一生お目にかかることはないが。
「あっ、や、<俺>、も、オレ、いっちゃ……」
「ん、俺も」
「ん、ん、中、に、<俺>っ」
「<オレ>っ」
 俺はこれから一体どうなるんだ。愛してると同じく、かわいいも言いまくるようになってしまうんだろうか。そうなったら俺のアイデンティティが大崩壊だろう。どうすればいいんだ。
「ああああっ! <俺>ぇっ!!」
「っ……!」
 ああ、ものすごく気持ちがいい。幸福の極みだ。愛しい相手と体を繋げる幸せを知らない人間がいるなんて、俺にはまったく信じられない。そんなのあまりにも不憫だ。かわいそうに。
 愛おしい。たまらない。かわいい。愛してる。
 次から次へと溢れる感情を、俺はもう身のうちに閉じ込めてはいられない。
「は、は、はぁ……<俺>……」
「<オレ>」
「ん、ん」
「んっ」
「んー……ふあ……」
「<オレ>」
 深い瞳。俺を包んで、守ってきた強い瞳。優しく微笑む、愛しいお前。
「愛してるよ、<俺>」
 …………まあ、いいか。そうだな。いいじゃないか。俺は何を悩んでるんだ。
 半身はかわいい。かわいい半身を愛している。まっさらな真実を正直に口にすることに、何を悩むことがある。
 はにかむ半身が見つめてくれるなら、俺のアイデンティティが崩壊するくらい、プライドがさらっさらの粉になるくらいなんだというんだ。
「俺も、愛してるぞ、<オレ>」
 ふにゃっ。
 ああくそ。そんなにかわいく笑うな。立つ。
「あっ、<俺>……」
「愛してる」
 そう。愛してる。愛してるぞ。何度だって言ってやる。かわいいだって連呼してやろうか。お前はそれを求めているんだろう?
 いいぞ。もう悩みは消えたからな。これからたっぷり、いやってほど耳元で囁いてやる。
「愛してる」
 さあ、覚悟しろ。<オレ>。
2013.05.20